「三丁目の夕日」の時代、テレビ番組の多くは、海外からの輸入ものでした。日本製番組もありましたが、生放送だったようですね。
名犬ラッシーとか、コンバットとか、アメリカの番組が人気がありました。アメリカの現代ものを見ると、広いリビングルームや大きな冷蔵庫に象徴される豊かな生活と、日本のそれとのギャップに、子供ながら驚いたものでした。
あのときのアメリカの生活のイメージが強かったせいか、初めて海外に行ったのはアメリカでした。大学生のときでしたが。
そのころもアメリカと日本の物質的な豊かさの差はありました。
その後、追いついた(ウサギ小屋に象徴される家の大きさなどは、いかんともしがたいのですが)ものの、多くのモノを失ったように思います。
追いつけ追い越せの時代は、まさに団塊の世代(私はその最後尾ですが)の歴史なのですが、その世代が第2の人生を迎えて、失ったものの良さを思い出し、それを掘り起こし始めたように感じます。
私自身もそのような視点で行動したいと思っています。
それにしても、「三丁目の夕日」時代のテレビ番組の主題歌の中には、何でスポンサー名が入るのでしょうかね。
名犬ラッシーの主題歌の最後はスポンサーの「M石鹸」の名前が3回連呼されましたし、「鉄人28号」では最後にお菓子メーカーの「G」の名前が3回連呼されました。
50数年経過しても、これらの主題歌、とくにスポンサー名のところを思い出すというのは、恐るべき宣伝効果です。
コメント
そうそう、M◯、M◯、M◯石鹸、でしたね。
あの頃、アチラのホームドラマを見てて憧れたのは、呼び鈴が「ピンポ〜ン」のチャイムだったこと。日本ではどこもブザーでしたから。
でも、10年もしないうちにコチラも大抵がピンポ〜ンになりましたけどね。
ARCadiさん
呼び鈴のことには気づきませんでした。
名犬ラッシーも、鉄人28号も、少年ジェットも、月光仮面も、エイトマンも、主題歌はいまも間違いなく歌えますよ。
少年ジェットのはじめのところは確か絵画館の前で写したシーンだったような。
月光仮面がドクロ仮面と戦う場所は品川の八つ山陸橋のところでした。