昨日に続いて日経フィナンシャルの紀陽銀行の記事についてです。
三回連載の中編には、平成金融危機(1990年代後半)における預金取り付け騒ぎのことが生々しく描かれていました。
ワタシも、紀陽銀行をはじめとして、預金取り付けの直撃を受けたいくつかの地域銀行や、当時の行政当局の人たちから、背筋の凍る思い、そして手を差しのべてくれた地元の事業者への感謝などをリアルタイムで聞いていました。
二十数年を経て、取り付け騒ぎの地獄から地元顧客に助け出してもらった体験を持つ人たちは上層部にもあまり残っておらず、風化しているといわれます。
収益優先で地元顧客を思い切り絞り込んできた紀陽銀行の役職員の中では、健全性についての懸念は払拭されているものと推察されますが、健全性だけで地域金融機関としてのミッションを果たしていると言えるでしょうか。
ワタシはこのブログで再三、コロナ禍の最大のリスクは“地元企業の廃業ラッシュ”であると訴えていますが、まさにこの連載記事の最後のパートがその恐ろしさをえぐりだしています。
〜紀陽銀と長年付き合いのある経営者がぽつりと漏らした。「この先紀陽銀が倒れそうになっても、地元はもう支えられへんと思うな」。その理由は企業としての余裕がないからではなく、「和歌山には企業自体が残ってないやろうから」。「地域のために地域を捨てる」。一言で言えば、過去20年、紀陽銀行が築き上げたビジネスモデルは選択と集中の歴史の産物だった。しかし、平成金融危機の当時はまだ和歌山経済がバブルを作るだけの生命力を持っていた時代。夢破れて地銀が残ったことが再起を図る唯一の光明だった。一方、令和金融危機が起きた時、和歌山経済に生命力が残っているのだろうか。(同記事「下」の最後のパートより)
お節介は承知の上ですが、この銀行とそれなりの関わりを持っていたワタシとしては、過度に顧客を絞り込んだことの是非を問わずにはいられません。
コメント
地元で支えられないなら地域外のどこかと一緒になるしかない。そういう流れを地元の事業者がどういう思いでお考えなのでしょう。