東海道新幹線の米原駅は北陸方面への乗換駅ですが、乗り換え以外で下車したことのある人は意外に少ないようです。
歴史好きな人であれば、米原駅から近江鉄道で鳥居本まで乗ってみたらいかがでしょうか。鳥居本は佐和山城の城下にあり、中山道69次の63番目の宿場町であるとともに、北国街道(北陸道)の起点でもありました。
中山道の62番目、番場宿も米原駅から遠くありません。
番場宿には蓮華寺という聖徳太子ゆかりの寺があるのですが、蓮華寺には鎌倉幕府の滅亡の際に、京都から鎌倉に向かう途次、追い詰められて自刃した六波羅探題(北方)の北条仲時とその一族の墓があります。この話は太平記にも描かれています。
かつて関西方面への出張の際に、時折、米原で下車して、鳥居本宿や番場宿を歩いたことを思い出します。晩秋がとくに良かったですね。
ところで昭和40年代前半、米原にはD50というSLの基地 (機関区) があり、米原から出る北陸本線の列車を牽引していました。
といっても米原から5キロほど北方にある田村駅までの区間、時間にして数分でしたが。
大阪方面や名古屋方面から北陸本線に乗り入れる直通の客車列車は米原まで直流の電気機関車が担当、田村から先は交流電化区間であり交流対応の電気機関車が牽引していました。
直流、交流の電気機関車の仲立ち区間(米原と田村の間)をD50が務めていたのです。
昭和43年10月のダイヤ大改正まで、東京 金沢間の客車急行列車「能登」は米原経由で走っており、米原と田村の区間はD50が引っ張っていました。
昭和43年9月28日。
残り少ない米原経由の能登号に乗車、翌日早朝に始めて米原駅に降り立ちました。
その時の写真を平塚のハカセから送ってもらいました。