良禽択木 (りょうきんたくぼく)

地域金融機関の多くがレイジーバンク化する中で、志の高い若手や中堅の職員たちがどんどんやる気を失い、悶々としているさまに心が痛みます。

地銀業界を熟知し、中国の古典に造詣の深い Hさんが、春秋左氏伝にある故事を教えてくれました。

「良禽は木を択んで棲み、賢臣は主を択んで事う」

賢い鳥は敵に襲われにくく食べ物を手に入れやすい木を選んで巣を作るように「賢者は立派な主君を選んで仕える」ということのようです。自分の才能を殺してまで無能な主君(会社)に仕える必要はないということですね。

中国のみならず我が国の戦国時代にも、そういう侍が少なからずいました。

司馬遼太郎さんの「関ヶ原」で、小早川秀秋の軍の先鋒隊長だった松野主馬は、主君の裏切り行為に納得がいかず、西軍への突撃命令を拒否して、戦後に小早川家を去りました。

池波正太郎さんの「戦国幻想曲」の主人公である渡辺勘兵衛も、藤堂高虎など5人の主君にダメ出しをして、筋を通し続けました。

地域金融機関にノーを突きつけて去っていった、現代の松野主馬や渡辺勘兵衛が、再び帰参したくなるぐらいの自己変革 (暗君から賢君へのバトンタッチが前提) できる地域金融機関はなかなか出てきませんね。

形だけのガバナンス、サクセッションプログラムなどどこ吹く風。

地域金融機関の株主総会や総代会の季節を迎え、半ば諦めの境地です。


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コメント

  1. 鮭介 より:

    おはようございます。

    「良禽は木を択んで棲み、賢臣は主を択んで事う」

    日々悩んでおりますが、侍になりきれない自分を納得させることが出来ません。業界は違いますが、ご指摘の様子がありがちな世の中になりました。主君も、賢?臣も、平民も、みな保身で精一杯で、潔さが失われてしまっています。そんな日本の組織だから、能力発揮が低下して要素生産性が低いのかもしれませんね。

  2. Hさん より:

    主従関係の潔さと言えば、座右の銘にしているのが魏徴の『人生意気に感ず。功名誰か復た論ぜん』。この一句には地域金融機関とその取引先の関係においても、相通じるものがあると常々感じています。

    多胡先生が昨日のブログで紹介をされている会合においても、某地方銀行の若手行員が、『自分自身、今も夢を追っている立場にいるので、真摯に夢を追っている取引先の気持ちはよく理解ができます』と颯爽と語っていたことが非常に印象的でした。

    相手の意気に感じた結果、後続の処理フローを分岐させるAIが登場するようになるのは、一体何十年先のことやら。それまでの間はまだまだ地域金融機関において、「人」にしか出来ない仕事が有り続けますね。