死語になった”革新系”という言葉

  今日は選挙です。

 思い出すに、初めて首長の選挙で投票したのは昭和50年の東京都知事選挙でした。

 その時は美濃部都政の第3期目の選挙で、あの石原慎太郎氏が美濃部亮吉氏に挑戦して、敗退。

 革新系知事が強い時代でした。

 都電が廃止になったのも、高校入試における学校群制度の導入も、美濃部都政によるものと思っていましたが、このブログを書くにあたって調べてみると、どうやら美濃部知事の前の東都政(保守系)の時に決まった事項だったようです。

 中学3年生の夏に、突如、学校群制度が導入されて、9科目受験から3科目受験(内申書重視)に切り替わって、大慌てしたことは、いまでも頭にこびりついていますが、学校群制度という都立高校の平準化を目指す施策は、てっきり、革新系知事の施策だとばかり思っていました。

 私が20代の前半のころは、東京都のみならず、神奈川県も、横浜市も、京都府も革新系の首長でした。

 そう言えば、20代の後半に横浜市に住みましたが、横浜の道路事情が悪いのは革新首長の時代が長く続いた地域だからだと言われていました。

 いまや、革新系知事とか、革新系市長という言葉は死語になってしまいましたね。


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