新聞によれば、昨日、千葉県の成田線でSLが44年ぶりに走ったそうです。
運転区間は伊能忠敬の出身地である佐原と銚子の間です。
44年前といえば、高校生の時ですが、この当時は、SLの牽引する客車列車が上野駅や両国駅まで入って来ていました。
千葉県の野菜など農産物を都内に運んでくる行商のおばさんたちが、毎日、このSL列車を利用していました。
上野駅発着のSL列車は成田との間を走っていましたが、その経路は、我孫子までが常磐線、我孫子と成田との区間が成田線。 当時は松戸を過ぎると住宅地がまばらになり、我孫子から成田線に入ると、一面、田畑が展開していました。
私が初めてSLの写真を撮ったのは、上野駅のこの列車でした。 同行した平塚のハカセは几帳面な人ですから、おそらくこの時の写真を保存しているでしょう。
銚子(総武本線、成田線)、館山(内房線)、安房鴨川(外房線)方面にも、千葉駅から数多くのSL列車が走っていましたが、一部は両国駅まで乗り入れていたように記憶しています。行商列車だったと思います。
総武線の黄色い電車(快速電車は走っていなかった)で両国を通ると、黒い煙が上がっていたことを思い出します。
いまも両国駅の国技館側に、SL列車が発着していたホームの名残があります。
いまでは想像できませんが、SL列車が東京と食糧庫である千葉県との物流インフラの一部を支えていたのですね。
コメント
SLを見た最も古い記憶はそれこそ上野駅で、汽笛一発が大音響となって響きわたったのにビックリした覚えがあります。鉄傘でもあって響いたのかな。二歳半くらいでした。汽笛がなければとても覚えてなかったでしょう。
それっきり、上野駅ではSLを見てません。見た可能性は大だけれど記憶にありません。汽笛を発してくれなかったのでしょう。
ARCadiaさん
すげえ、記憶力ですなあ。
ふつう、2歳半の頃の記憶はないですわ。
平塚のハカセの保有する写真で千葉のSL特集でもやりますか。