栗より美味い十三里

ランチタイムは埼玉県の川越市におりました。

学生時代の友人であり、現在、川越で企業経営者をしているTさんに市内を案内してもらいました。

川越中心部の商店街は活気があります。 本日は朝方に雪が降るという厳しい天候にもかかわらず、そして平日であるにもかかわらず、観光客や買物客が、そこそこ歩いていました

東京のターミナルの一つである池袋から、電車で40分もかからないという距離であるため、買物客は池袋に吸引され、空洞化しているのではないかとの予想は見事外れました。

それぞれの店舗の風情、さらには品揃えなどを見るに、地元の方々の努力が垣間見れますし、顧客動線も含め、それぞれにバラバラ感はありません。

推測の域を出ませんが、この地域の活性化に向けて、尽力しておられるリーダーたちの強い結束力があるのではないかと思います。

川越は平安末期に河越一族が館を構え、その後、関東の中心地として栄えました。室町時代には江戸よりも川越の方が重要拠点であり、後北条氏(小田原城主)と古河公方(足利)・上杉連合軍との間で、川越争奪戦が繰り広げられました。

江戸時代は幕府の老中格の譜代大名の領地となり、松平伊豆守信綱などがこの地に奉じられました。

このような歴史のある町では、往々にして、地域の実力者たちの団結力が弱く、それどころか足の引っ張り合いという現象が多いのですが、川越にはそのような気配が感じられません。

休日、さらには季節が良くなってくると、古い蔵や建造物のあるエリアに多くの観光客が集まってくるのでしょうね。

Photo

川越の名物は芋とウナギですが、芋の別称が「十三里」(十三里半とも)だということをご存知ですか?

「栗より美味い十三里」

”栗”は九里、”より”は四里、9+4=13、ということになります。

そして、川越から江戸への距離は十三里だとか。。。。。

昔の人は上手いことを言いますね。

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コメント

  1. ARCadia より:

    川越といえば、昭和の50年代の数年間、通勤経路にしていて、日々、川越市駅、本川越間を歩いてました。

    その約10年前、旅芸人さんとハカセと一緒に初めて川越を訪れていたのですが、その頃(何しろSLが走ってた)と比べれば随分都会っぽくなったなあと思っていました。

    しばらくご無沙汰ですが、今はどんなかなあ、とちょっぴり感傷的になります。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    東武線の川越駅と西武線の本川越駅との間の道が、まさに「元気印のストリート」なのですわ。

    東武東上線に久しぶりに乗りましたが、志木まで複々線だし、高速運転で池袋と川越間が35分。対する西武は昔とあまり変わらず。両者の差は歴然です。

    私らが学生のときと比べると、東武東上線には新駅がたくさんできており、昔からあった朝霞、鶴瀬、上福岡は急行通過駅になってしまいました。新駅のふじみ野とかいう駅には急行が停車しますが。

    大和町駅も和光市駅だしね。浦島太郎でした。