チキンラーメンで東京を想う

 黄色い箱で馴染み深い「森永ミルクキャラメル」が、この6月10日で発売100周年とのこと。

 昨今、このような100年長寿商品が話題になっていますが、元祖即席麺である日清食品さんの「チキンラーメン」は昭和33年の発売で、その歴史は森永さんのミルクキャラメルと比べれば半分あまりにしか過ぎません。 

 それでも50年以上はすごい

 初期のチキンラーメンは、袋から取り出したチリチリ乾麺(茶色に近い)をどんぶりに入れて、お湯を流し込み、皿をかぶせて、3分間待つというプロセスでした。

 具はなく、別包スープもなく、麺自体にスープの味が染み込んでいました。子供の味覚ですから、あてになりませんが、コンソメ味だったような。

 東京に住んでいる時には、池上線の雪谷大塚駅前の来々軒さんで美味しい中華そばを食べていたので、とくにチキンラーメンの世話になることはなかったのですが、昭和35年に島根県に転居してからはチキンラーメンなしで生きてはいけないような状況でした。

 今でこそ、全国津々浦々、ラーメン屋さんはあるのですが、当時、島根県にはラーメン屋さんらしきものがほとんどなく(少なくとも子供の私の認識では皆無でした)、「そば」といえば日本そば。 まあ、出雲そばの名産地ですからね。

 チキンラーメンを食べるたびに東京を思い出していました。

 私にとってチキンラーメンは都会の味なのです。


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コメント

  1. ARCadia より:

    なるほど、チキンラーメンが東京に繋がっていたのですか。

    (同じ時期)大阪に転居した頃、高槻付近を通るとピカピカの日清の大工場が見えました。(JRか阪急か忘れた)

    父親の勤め先は、新聞記事にもあった長寿商品(そこそこ著名)の会社で、その工場の隣に日清が進出したのですが、「アチラの方がよほど立派だ」と飛ぶ鳥落とす勢いのお隣に脱帽気味でした。

    そういえば、隣のヨシミか、チキンラーメンを箱で持ち帰ったことがあって子供たちは狂喜してました。が、じきに飽きました…

    転居して、付近唯一の食堂で初めて食した大阪のラーメンにはタマゲました。ドンブリの底まで透けて見えるのです。今考えれば塩ラーメンだったのでしょうが、その店は味がイマイチだったこともあって、色も味もない大阪のラーメンは何なんだと思いましたね。

    そのうち、東京に出かけたときなんかにラーメンを見かけると、この色は何なんだ(たぶん醤油味)と思いましたけど。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    初恋の味も長寿企業ですね。

    それにしてもあの頃は、東京と地方の食べ物の差はデカかったですね。いまは地方にいっても東京のチェーン店ばかり目立つのはいただけませんが。