市振、倶利伽羅、津幡

本日は北陸新幹線開通のニュース一色です。

新幹線開通の影で、魅力ある北陸本線の重複する部分が三セクのローカル線となることに時代の変遷を禁じ得ません。

昭和26年に急行日本海に乗車(記憶にありませんが)して以来、最近の越後湯沢からの特急はくたかでの移動まで、北陸本線を行き来すること数知れず。

今回、新幹線に代替される金沢以北だと、乗車の際のマイ・ビューポイントが3つありました。

その1: 市振駅

学生時代、夏休みの宿題で読んだ「おくのほそ道」ですが、印象が強かったのが「市振の宿」の項です。

親不知の難所を越えてたどり着いた市振(越後と越中の境界)での一夜が描かれていますが、この話は実話ではなく、創作と言われているようです。

“一家に 遊女もねたり 萩と月”

実話かどうかは別にして、特急はくたかが市振の小駅を高速運転で通過するときには、いつもこの逸話を思い出したものでした。

その2: 倶利伽羅峠のトンネル

言わずと知れた木曽義仲が平維盛率いる大軍に大勝利する倶利伽羅峠の戦いの現場です。

高校の古文の教科書には「倶利伽羅落(くりからおとし)」の項は取り上げられていませんでしたが、興味があったので原典にあたったものです。

“親落とせば子も落とし、兄落とせば弟も続く。
主落とせば家の子・郎党落としけり。
馬には人、人には馬、落ち重なり、落ち重なり、
さばかり深き谷ひとつを、平家の勢七万余騎でぞ埋めたりける”

その3: 津幡駅

何の変哲もない駅なのですが、津幡駅を通過すると頭に浮かぶのが、松本清張の「ゼロの焦点」で主人公の禎子が夜行列車で津幡駅に到着し、げんこつの形をした能登半島へと向かうローカル線に乗り替える場面です。

//////////

平安時代、江戸時代、昭和の文学のシーンを思い起こさせてくれた北陸本線の旅も終わりました。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする