昭和40年代に初めてアメリカに行った時、高速バスのネットワークに驚いたものです。グレーハウンドの夜行バスを乗り継いで西海岸 (サンフランシスコ) から東海岸 (ニューヨーク) まで移動しました。
今は日本でも高速道路網が発達し、夜行バスが国内を縦横無尽に走る時代になったのですが、そのために夜行列車が駆逐されたのは残念でなりません。
学生のころ宿泊代をセーブするために夜行列車によく乗りました。
新米社会人のころは、土曜日は半ドンで、かつ今のように祝日や連休も少なく、時間と距離が稼げる夜行列車にはお世話になりました。
印象深いのは各駅停車の夜行列車ですが、その中でも寝台車 (3段の二等寝台) を連結した列車は忘れられません。
当時、私の周りの山陰の人たちが「京都夜行」と言っていたこの列車の寝台車に京都から安来まで乗ったことがあります。
43年10月の時刻表によれば、
京都 22:03 鳥取 4:36 米子 7:29 安来 7:52 松江 8:23 出雲市9:36 (寝台車はここで切り離し) 浜田 12:30 東萩 15:34 下関 18:42
気の遠くなるような長距離鈍行列車ですが、全線を通して乗ればよかったとつくづく思うのです。
時間は十分にあったのに。
コメント
昭和40年代とすると、その「京都夜行」が名無しの頃でしょうか。その頃、寝台列車なんてアッシにとってははるか高嶺の花で、検討の対象にもなりませんでした。
それにしても、
安来まで乗ったのなら、タイトルが違うじゃないの。乗っておきたかったのはアッシの方だよ、と軽く突っ込んでおきます・・・
当時、急行料金が200-300円、寝台券は上段でも800円。結構、贅沢だった。
乗っておきたかったのは下関までの全区間です、苦笑。
アッ
そう書いてありますね。
寝台に意識が行ってしもて・・・