まつかぜがやってきた

「サンロクトウ」

昭和36年10月の国鉄のダイヤ改正です。

まだ小学4年生でしたが、我がまちに特急列車がやってきた、この日のことは鮮明に覚えています。

新幹線のない時代、特急列車といえば、東海道本線、山陽本線、鹿児島本線というメインラインと、上野〜青森の「はつかり」(2017年10月29日のブログをご参照ください) だけの、希少価値のあるものでした。

それが、サンロクトウにより、特急列車のネットワークが全国各地に大きく広がることになったのです。

日本海側には「白鳥」、奥羽本線には「つばさ」(上野〜秋田)、函館から旭川には北海道初の「おおぞら」。

そして、当時、ワタシの住む山陰にも、京都から特急「まつかぜ」が大阪、福知山経由で松江まで入ってきました。

サンロクトウの「まつかぜ」のダイヤは以下の通りです。

(下り) (上り)
京都 7:30 21:35
大阪 8:05 20:59
福知山 10:00 19:07
豊岡 通過 18:10
城崎 11:04 通過
鳥取 12:16 16:50
上井 12:54 16:13
米子 13:39 15:27
松江 14:05 15:00

上記の駅以外には停車しません。ちなみに上井 (あげい) というのは、いまの倉吉駅です。

学校帰りに山陰本線の線路沿いを歩いていると、クリーム色に赤い線の入った、最新鋭の気動車キハ82型が、大阪、京都を目指し、駆け抜けていく場面に遭遇。いつも心が踊りました。

その後、「まつかぜ」は山陰本線を西進、鹿児島本線の博多まで延長運転となり、萩や長門の観光や、さらには九州方面への移動で何度も利用したものです。

そういえば、大学生の頃、藤圭子さんの「京都から博多まで」という曲が流行ったのですが、「まつかぜ」を連想していました。

2番の歌詞に「汽車が行く行く瀬戸内ぞいに」とあるので、まつかぜではないのは明らかなのですが、歌のイメージは山陽よりも山陰だと勝手に決めつけていたのです、苦笑。

今日は取り止めのない話でした。

最後にハカセの写真館。山陰本線の西部を走る「まつかぜ」の雄姿をご覧ください。

「まつかぜ」_玉江~三見_1974年8月

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「まつかぜ」_田儀~小田_1977年7月

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コメント

  1. ARC より:

    根拠不明ですが、まつかぜが「京都から博多まで」のモチーフになった列車、なんて解説がありますね。

    歌詞の経路はともかく、京都発ってのとひたすら博多に向かうイメージが曲想にピッタリだったんでしょう。

    山陰本線の特に浜田あたりから西の、隠れては現れる海(海岸線)の景色は忘れられません。間近な海をやや上方から覗く格好になるので澄み切った鮮やかな色で見えます(晴天に限るが)。南向きで見る海とは全く違う景色です。

  2. 旅芸人 より:

    山陰本線も石見路に入ると過疎化が進みえらいことになっています。高速道路網が完備され、ヒト モノの流れの広島集中に拍車がかかっています。

    反面、鉄道車窓となると石見路はトップクラス。晴天の時も荒天のときも日本海の海岸線の車窓は圧巻です。萩にはまつかぜで行った(駅は東萩)ものですが、いまは特急はおろか優等列車はまったく走っていません。

  3. ARC より:

    ヒェー 驚いた。

    ホント、寂れましたなあ。優等列車どころか、見れば下りに快速が1本だけじゃないですか。本数の少ないのも寂しい限り。

    メノクロイウチにこんなことになるとは思わなんだ…