50年前の9月29日は日曜日でした。
まずはその時の国鉄チケット。同行したハカセから送ってもらいました。さすが、ハカセの保存管理はすごい。
東京都区内発で東京都区内行き。
往路は東海道本線で名古屋へ、帰路は中央本線で東京までという循環切符です。
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前夜9月28日に夜行急行列車で東京駅を出て、早朝の米原駅で D50 というレアものの SL が牽引する金沢行 急行列車「能登」を見送りました。(1月20日の本ブログ「思い出の米原」はその日の話です。)
米原から東海道本線を岐阜まで戻り、名鉄新岐阜駅からパノラマカーの展望シートに陣取り、名古屋に向かったのです。わずか二十数分でしたが、フロントグラスに展開する濃尾平野の豊かさを体感しました。
当時も小田急ロマンスカーの最先頭のシートをゲットするのは至難の技だったのに比べ、名鉄パノラマカーは頻繁に走っており、スンナリと最前列に座ることができて狂喜したことを思い出します。
そして、名古屋から中央本線の急行「赤倉」(新潟行) に乗車。
朝日将軍 木曾義仲が育った、ワタシの憧れの地 木曽谷に初めて足を踏み入れました。
ディーゼル急行「赤倉」は千種、多治見、土岐市と停車し、中津川へ。ここからは非電化区間となるため、SL が姿を現します。
ハカセとワタシは次の停車駅、木曽福島で下車しました。
木曽福島駅構内に併設された SL のねぐらで写真撮影。
そのあと、SL牽引の普通列車で塩尻まで乗車。
谷にこだまする SL の汽笛と力強いドラフト音を耳に、木曽の車窓を堪能したのです。
(写真の提供はハカセです)
コメント
ヨンサントオは、当時の国鉄の大キャンペーンもあって、鉄道にあまり縁のないワタシなどもワクワクしたものですが、これはまた10月直前の駆け込み?大旅行ですね。
循環切符といい、過酷な行程といい、いかにもハカセ好みの組み方ですが、旅芸人殿もよくぞ付いていったものです。(まさか旅芸人殿の発案ではあるまい)
それにしても、機関庫の写真には蒸機がまだ第一線の雰囲気があって感慨深いなあ。
あっしが組んだ行程のような気がします。
名古屋から急行「赤倉」で木曽福島まで乗車したのは鮮明に覚えているのですが、木曽福島から塩尻までのSL客車鈍行、塩尻から新宿までの急行「アルプス●号」の記憶はありません。
急行「赤倉」は篠ノ井線、信越線で新潟行でしたが、乗り鉄としては全区間乗車し、新潟から夜行の急行「佐渡」で月曜日の朝に上野に戻るというのも手だったかと。
2日連続の座席での夜行にはなりますがね。