新進気鋭の弁護士さんによる「コーポレート・ガバナンスに関わる最新事情」の勉強会に出ました。
日産自動車やスルガ銀行などの最新の事案も含め、具体例を交えた説得力のある説明でした。
コーポレート・ガバナンスの議論は日々、変化していることを痛感するとともに、自分自身 (社外取締役として) の思考や行動のベースを常に最新の状況にアップデートしていかねばならないと、身が引き締まる思いです。
Q&Aタイムにおいて、
「自社の統合合併に際し、社外取締役はどのように責任を果たすべきか」
という点についても、明快な解答をいただき、モヤモヤ感が吹き飛びました。
かつて自社の資本統合をNHKニュースで知るという苦い経験があり、前々から疑問に思っていたことです。
コメント
ある銀行は、「女性」であることと、「大学教授」であることを社外取の「内々の選定条件」にしていました。
なんでも「女性」を据えることで、ジェンダーの見栄えが良い。そして「大学教授」(つまり素人)を据えることで、経営には余計な口出しできない、というものだそうです。これがガバナンスの実情です。
以来、私はガバナンスの機能論をまったく信じていません。形式を過信すれば、実質が失われます。結局はその人次第です。人物本位でしか、本当のけん制機能は働きません。故に株主総会も機能しません。人物の品定めができないでしょう。非常に危ないことを経済社会は許しているのです。まさに不確実性、まさにギャンブルです。
橋本さま、
同感です。
形式だけの取締役会だったら、やめた方が良いと思います。部長の成れの果てで、経営の議論ができない常勤取締役たちと、見栄えだけで選ばれた社外取締役による会など時間の無駄です。
地域金融のあらゆるところに、理念亡き形式があります。why?purpose?経営トップである頭取や理事長は、一流のバンカーとしての理念が問われるべきでしょう。私はバブルやリーマンショックの反省は、理念亡き金融の危うさだと考えています。橋本さんの、鋭い指摘を期待しています。
フランスでは、企業に存在意義を明示させ、取締役は、ひたすらに存在意義を追求したかどうかを評価される方向にガバナンスを見直しているそうです。
これがゴールかはともかく、こうした手を打っているということは「残酷な程にできていない」ことを物語ります。つまり、「企業は矛盾がない存在意義を示せないし、取締役は本当のところ何のために存在し、何を追求すれば良いのかも分かっていない」ということです。
ガバナンスの欠如というか、ガバナンスなど存在しないのでは。言葉遊びです。結局のところ、どのような「堅牢極まりないガバナンス」を構築しても、人に風穴が空いていれば無意味です。故に人をどう評価するのかが、問われるのです。
橋本さんのコメントは痛快です。
私は企業の目的は、人の幸せだと考えています。人を幸せにするために、法人は法人格を与えられています。金融機関は、更にでしょう。人を不幸にする法人に、何故法人格を付与出来るのでしょうか?地域金融機関は何の為に存在しているのか?そこで働く人は何の為にそこにいるのか?
ぜひ皆さんと議論したいです。
「株主の利益の追求こそが、株式会社が追及すべき目的であり、存在意義である」と信じてやまない地域銀行の経営者が、業推無罪の文化を生み出し、パワハラの横行する職場風土を作り出し、多くの歪(ひずみ)を顕在化させた、と考えています。
若手職員の離職の問題も、金融機関によっては、最も大きな理由になっているのではないでしょうか。
地域銀行の社外取締役には、「地域金融は経済学と社会学のリベラルアーツ(多胡先生)」であることを、念頭に置いていただきたいと思います。これを忘れた「株主利益の追求」は、かえって、それを損なうことになりかねない、と思います。
一方で、株式会社ではないのに、規模の利益と効率化を求めて、プロダクトアウト型経営に突き進もうとしている共同組織金融機関が多くあることに、不思議を感じています。地域金融は「効率化の追求=収益の向上」とは言い切れないことに気が付いてないのでしょうか。
「規模の拡大と効率だけが目的」、としか思えない共同組織金融機関の合併も起こっているようです。何とか、この流れを止めたいものです。
某経済雑誌の先週号、信金・信組の特集が組まれていましたが、毎度のことながら「総資産」のランキングが載っています。
協同組織金融機関の規模の大小を財務データから機械的に並べたところで、小市民的な無垢な興味を満たす以外に、一体何のメッセージ性があるのやら。
Hさん、
信用金庫、信用組合の規模を比較して何の意味があるのでしょか。この旅芸人さんのブログを読んでいれば、「共同化の完成度の高い信金信組の場合には規模は意味なし、合併は救済以外には妥当性がない」ことは明白です。
某経済誌、業界誌の中でも飛び抜けてレベルが低いですね。昔この経済誌の取材を受けたことがありますが、飛び抜けた素人。呆れてまともな話をする気にならなかったことを覚えてきます。職業柄、この手の雑誌は入手するのですが、この経済誌だけは買う気がしません。