日曜日、乗り鉄紀行です。
いまでこそ東京から南房総へはアクアラインで便利になりましたが、かつては船橋、千葉、木更津と、総武線→ 房総西線(現在の内房線) を利用して館山まで行ったものです。
千葉までは総武線の黄色の電車でしたが (総武線の快速電車はまだありませんでした)、千葉駅からの、館山行の客車列車は C57という、均整のとれた SLが牽引していました。
鋸山も富浦の海水浴もこのSL列車で行きましたが、実にのどかなものでした。
当時、ワタシが写した写真を、高校のクラスメイトのハカセがデジタル加工をしてくれたので、アップします。
① 館山行列車、千葉駅にて、1969年6月29日
② 姉ケ崎駅、1969年6月29日
③ 蘇我駅付近、1969年6月29日
館山発 5:41のSL牽引の旅客列車は、千葉駅から総武線に乗り入れて両国 (両国着9:10) まで走っていました。
新小岩〜平井、1969年3月19日
当時、新小岩の操車場には煙がもくもくと上がっていました。
新小岩機関区のD51、1969年3月19日
コメント
懐かしいです。私は小学校6年生まで、蘇我から千葉まで、汽車で通学していました。房総西線、東線と言っていた時代です。当時は、館山や鴨川は遠かったです。千葉を取り上げていただき、ありがとうございます。
館山に伯父がいたので、毎夏、海水浴に行ってました。
使ったのは専ら橘丸!
最盛期にはマリンガールなんてのも乗ってました。’60年より前の話です。
一度だけ、何かの都合で列車で帰りましたが、ウンザリするほどの時間、しかも両国止まり、、、こりゃ船に限るワイと思いました。
(そうそう、この時、隅田川の臭さを強烈に感じました)
千倉電化後は船便も廃れたのかあまり記憶がありません。館山航路には水中翼船が通ってたような。