ラインゴルトを堪能

先週に続いて、「乗り鉄紀行」海外編です。

1979年、ロンドンに転勤になったときに、「3つの列車に乗る」というを密かな目標を掲げました。

〜 先週のブログで取り上げた 「ル ミストラル」、

〜 ロンドンとエジンバラの区間を走行する、「フライイング スコッツマン」、

〜 TEE (すべて一等車で昼行の国際列車) で、西ドイツ国鉄が運営する「ラインゴルト」、

です。

フライング スコッツマンは、すでにイギリスのインターシティという特急列車群のシステムに組み込まれており、車両設備の面では特別感はありませんでした。

1980年6月に乗車したのですが、ロンドン キングスクロス駅 10時発車、途中停車駅はニューカッスルのみというところにだけ、フライング スコッツマンのプライドを残していました。

さて、ラインゴルト。

中世ドイツの叙情詩に由来がある西ドイツの看板列車に乗ったのは、5年3ヶ月のロンドン勤務明けの半月前、1985年1月のことでした。

同期でアムステルダム駐在員の Kさん宅から、アムステルダム中央駅に乗り込んだのは午前7時半前。

7:50発のラインゴルトは、すでに4番ホームに入線していました。

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アムステルダムを出発するとオランダ国内では、ユトレヒト、アーネムと停車。

国境を超えて西ドイツに入ると、デュイスブルグ、デュッセルドルフ、ケルン、ボンと、ノルトライン・ヴェストファーレン州の中核都市を止まっていきます。

ケルン中央駅には何度か列車で乗り入れたことがあるのですが、このときもライン川の橋を渡り、大聖堂の側をホームに入線する場面では窓に釘付けになりました。

ボンの次はコブレンツで、ここから並走するライン川の車窓にはいつも心が踊ります。

定番のローレライではシャッターを切りました。

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そして、マインツで下車。

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スイスに向かう ラインゴルトを見送り、フランクフルト駐在の同僚たちが待つフランクフルト中央駅への列車に乗車したのです。

5年2ヶ月を経て、英仏独の看板列車に乗車という目標を達成できました。


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コメント

  1. ARC(短縮しました) より:

    仕事のフリして欧州乗り鉄できるのだから羨ましい??

    ’80年代末に、ついに一度きりだった欧州出張の際に、デュッセルからハンブルクまで鉄道を使いました。

    その出張、重要任務もあまりない上、それまでは駐在員のフルアテンド付きで楽チン続きだったのですが、最後の訪問先(キール)へは単独行となったので躊躇なく鉄道で。

    デカいスーツケースを転がしながらの旅は難儀でしたが、ガラガラの指定席で行きました。

    そして、名前だけは知っている街を垣間見るのを楽しみにしてたハズが、、、じきに眠りこけてしまい、まるで覚えがありません。

    そうそう、ハンブルクの宿は、ちょいと張り込んで「フィアー ヤーレス ツァイテン」、これでもこれまでの最高級ホテル。

    ま、ここまでは大過なかったけど、帰りのヒコーキのオーバーブッキングで帰着が2日遅れになる大チョンボ。。。