ひので号

週末、乗り鉄紀行。

今日は、50年以上前の中学校の修学旅行の話です。

この時代は東京の公立中学の修学旅行は京都というのが定番でした。

新幹線は2年前に開通していたものの、列車本数も今ほどではなく、修学旅行生は在来線(東海道本線)を走る「修学旅行専用列車」を使っていました。

我々が乗車したのは「ひので」号という電車。

4人掛けと6人掛けのクロスシートですが、当時の中学生の体格だとあまり狭いという感じがしませんでした。

当時の時刻表を見ると、

(往路) 品川発 8:08→ 京都着 15:30

(復路) 京都発 20:13→ 品川着 5:00

停車駅は横浜、大船(復路のみ)、小田原、熱海、沼津、富士(復路のみ)、静岡、浜松、豊橋(往路のみ)、名古屋、岐阜(往路のみ)、米原、大津(往路のみ)と、急行列車と変わりません。

旅行直前の音楽の授業では「ひので号の歌」というのを歌い (いまでもサビのところは覚えています)、社会科の授業では京都のお寺の解説とともに、ひので号の車窓の話があり、その際に東海道線の全駅名(確か?)入り、沿線の河川や山などが記載された小冊子が配られました。

当日、ひので号の車内ではお菓子を食べたり、トランプに興じ、大騒ぎをしている級友たちを尻目に窓側に陣取って、安倍川、大井川、天竜川と、小冊子にあるウォッチポイントを確認していました。

京都で参拝したお寺のことはあまり覚えていませんが、四条烏丸の交差点で見た京都市電と鴨川沿いを走る京阪電車の姿はしっかりとカメラにおさめました。

 

 


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コメント

  1. ARC より:

    「ひので号の歌」とはまた、当時の気合の入り方が尋常ではありませんなあ。

    ワタシもその頃東京の公立中学の生徒でしたがこの歌には巡り会いませんでした。ひので号にも乗ってないのです。

    それから数年で修学旅行も新幹線利用にシフトしていきました。