出てこい! そうせい候


真実を確認することはできないのですが、

“ノルマ営業が通用しなくなり、逃亡を決め込む”無責任な経営者の話をしてくれる人がいました。

“行政当局の深度ある対話でのツッコミに対処する自信がない (虚勢を張っていますが) ”から、トップの座から降りた情けない経営者の話も聞きました。

耳を疑う?、いえいえ宜なるかなと思いました。

ある地域金融機関のことです。

こういう人間に退職金とは「盗人に追い銭」ではないかと、腹立たしい思いはグッとこらえ封印して、こういう人たちが退場してくれたのは地域にとって良かったのかなと、、、

でも、後継者は大丈夫なのでしょうか、

またトップを退いた人が院政を敷くのではとの懸念もあります。

昔もこういうトップはいたのですが、困ったことに、昨今、こういう経営者が増えているように思います。

これもルールベースの形式主義が業界を席巻して、こういう何も考えない経営者の存続を許したからでしょう。

金融検査マニュアルの廃止で、ルールベースと形式主義は通用しなくなります。思考停止の経営者の居場所はありません。

では、地域特性を踏まえた創意工夫による顧客本位のビジネスモデルを構築し、それを粛々と運営できる経営者はどこから生まれてくるのでしょうか。

残念ながら、内部の次世代層からというのは結構難易度が高いと思っています。ルールベースと形式主義による思考停止病はこの層にまでも伝染しているからです。

だったら、外部人材? 否定するつもりは毛頭ないのですが、相当の荒療治は不可避、内部守旧派との軋轢の時間を容認できる状況ではありません。

結局のところ、

内部の権限のある上層部 (思考停止族ですが) の中に幕末の長州藩主 毛利敬親のような人間がいれば、その人にトップを任せるというのが答えなのではと最近思っています。

毛利敬親、「そうせい候」は若い藩士の意見に「そうせい」と同意して、自由にやらせたと言われています。

テレビの時代劇を見ていると「そうせい候」が吉田松陰の学才を高く評価し、高杉晋作や桂小五郎の行動を容認する様が描かれています。

地域金融機関における思考停止病ですくんでいるだけの経営陣の中にも、「そうせい候」のひとりぐらいはいるのではと期待しています。

 

 

 

 


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コメント

  1. 森脇ゆき より:

    「そうせい候」さんがいても、もしかしたら経営陣のなかでは「殿ご乱心」とみなされるおそれがあるのでは?

    しかし、多くの行職員(群衆)が「そうせい候」さんに賛同し、緩やかでも革命が起こればいいな・・・。

  2. 業界事情通 より:

    森脇さん、

    古都◯◯市に本店を構える老舗地銀では、頭取が外部からナンバーツーを招聘しました。重臣どもは「殿ご乱心」と思っているでしょうね。ナンバーツー氏は外部の仲間を引き込んでいるとの話も聞こえてきます。この動きを若い人たちは冷静に見ているでしょうか。今後の展開はどうあれ、化学反応が起こるのは良いことですね。

  3. 橋本卓典 より:

    「いたすな侯」

    がほとんどかもしれませんが、40代以下の良識ある人間は、もはや抑えきれないでしょう。

    いくつかの地域ナンバー1地銀ですら、そのような動きもちらほらと見え始めました。

    もっとも組織的運動になるかどうかは分かりませんが。

    確かなのは、長短金利差依存のトランザクション規模拡大ビジネスモデルは終焉したということです。再編統合は、むしろビジネスモデルの障害にすらなり得る時代に突入しました。トランザクションが自動化し、フィデューシャリー・デューティーではない営業は封じられ、高すぎる給与を保てなくなり、人員削減によるヒューマンアセットの崩壊現象が起きる。繰り返し、捨てられる銀行で申し上げてきた未来です。

    他方、コミュニティバンクは上場の必要性がようやく見直されるようになってきました。コミュニティバンクは、できるだけ小さく、できるだけエコに、できるだけオープンに、できるだけ多く存在した方が、持続可能な地域社会のためになるのです。信金信組を銀行と同じように考えている時点で、まったく間違っています。

    「そうせい侯」も待望ですが、本当の変人(変革人間)は、晋作のように疾風迅雷で、走り始めると期待しています。変人が先、組織はいつも後です。

  4. 多胡秀人 より:

    立ち上がれ、

    全国の高杉晋作

  5. ミザール より:

    橋本さんの「信金信組を銀行と同じように考えている時点で、まったく間違っています」に本当に同意します。信用組合が、地方自治体から金融庁の監督になってから、「組合員」「会員」という存在感が本当に薄れ、単なる金融機関になってしまいました。

    職員だけでなく役員も「組合員」という存在の意義はなくなり、金融業経営者となっているのが現在です。

    行政当局は、もっと中企法・協金法を踏まえたビジネスモデル(信用組合運動)への取組についてのヒアリングを強化してもらいたいと思っています。

    いま貯蓄資産のない世帯が3割ありその傾向が更に強まっています。地域再生のためにはまずこの層の生活力強化が最大の課題と私は考えています。ここら辺に信用組合の新しい運動対象があると思っています

  6. 橋本卓典 より:

    ミザールさん、まったく同意です。

    金融庁が一番分かっていません。「地銀の片手間に再編させておけばいい」ぐらいの発想しかありませんでした。これが地域のエコシステムをどれほど壊したのか。思いもしていないでしょう。大罪です。

    私が最近、訪れた信金はかつてのトップが「小口融資は5000万円以上だ!」と豪語していたそうです。

    世も極まれり。

  7. Hさん より:

    巷では漫画に続き映画でも『キングダム』が大ヒットを飛ばしていますね。秦の始皇帝による中華統一がモチーフとなっていますが、この始皇帝の大業はご先祖様が外部人材を劇薬に使ったことが礎となっています。

    6代前の君主は旧弊による国力衰退を打破するため、国外に「招賢令」を発布して幅広く外部人材を求めます。これに応じて隣国からやって来た商鞅は、改革に対する君主の覚悟と自分への信頼を確認すると、「変法」と称される大胆な改革を矢継ぎ早に断行し、瞬く間に富国強兵を成し遂げます。

    ところが、庇護者である君主が崩御すると商鞅は守旧派によって讒訴された挙句、苛烈な改革に因って私怨を抱いていた次の君主によって処刑されてしまいました。外部人材が存分にその力を発揮するためには、トップの信頼と庇護が欠かせない好例です。(トップが交代した途端、そのアドバイザーも干される事例は現在でも事欠きませんよね)

    なお通常であれば、上記の秦国も反動の嵐が吹き荒れ、再び国力が低下するところですが、次の君主は商鞅を人間的には嫌悪していたものの、その改革の成果には内心驚嘆していたのでしょう。自身で改革策を継承し更なる徹底に努めた結果、秦国は益々強大化して6代後の始皇帝による中華統一に帰結します。

    改革は一朝一夕には定着しない一方で、トップの在任期間には限りがあります。折角の改革の萌芽を生かすも殺すも、その後継者次第ということでしょう。

    行内史に残るまでの事跡になるか否か、「古都◯◯市に本店を構える老舗地銀」の改革を興味深く見守りたいと思います。