玉電最後の日

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ハカセから玉電の最後の日 (1969年5月10日) の写真が送られてきました。

写真は上から桜新町付近、大橋付近、渋谷駅です。

玉電というのは渋谷と二子玉川、三軒茶屋と下高井戸の間を走る路面電車でした。

いまや二子玉川への線は新玉川線として田園都市線、地下鉄半蔵門線と相互乗り入れしています。

一方、三軒茶屋と下高井戸の区間は世田谷線として当時の姿を残しています。

玉電の走る国道246はいつも大混雑。この沿線から都心に通勤通学する人たちは時間が読めず、苦労していましたねぇ。


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コメント

  1. ARC より:

    ’幼少のみぎり’玉川通りから1kmくらいのところにいたので玉電には親しみがあります。イモ電を見に行ったりもしました。

    でも乗ることは滅多にありませんでしたなあ。

    今は世田谷線の近くにいます。でも滅多に乗りません。本数あって便利なんだがなあ、行く用のあるところがない。。。

  2. 旅芸人 より:

    ARCさんは下馬でしたね。イモ電は玉電の象徴みたいで、印象に残っています。

    イモ電に初めて乗ったのは駒沢球場に行ったとき。東映フライヤーズと大毎オリオンズの試合でした。ビールを飲んで酔っ払っているおじさんたちの野次がものすごく、スゲェところだと思いました。

    島根に5年ほど行って、戻ってきたら、駒沢公園に変身していました。