本日の日本経済新聞のコラム 「セブン カリスマ後の憂鬱 ~ 進取の気性どこへ」(編集委員 中村直文) には、考えさせられました。
セブンイレブンですら「現場は優秀だが、まじめさだけでは横並びの発想しか浮かばない。」(本文より) という状況に陥っているのだそうです。
さて、優秀とまじめさでは引けをとらないのが地域金融機関の現場。
地域金融機関は流通業に比べると裁量範囲が狭いものの、“横並びの発想”から脱し、それぞれの経営環境のもとで独自の顧客本位のビジネスモデルを構築することが求められています。
「同質化競争をしているから飽和状態になる。流通業は蓄積じゃない。新しいことに挑むこと」、
「宇宙を相手にしているわけではない。人間が相手なのだから小売業は一番やりやすい仕事なんだよ」、
文中にある鈴木名誉顧問の言葉は、流通業/小売業を“地域金融”と置き換えて受け止めねばなりません。
昨秋、某所において鈴木さんの講演を聞く機会がありました。
「買い手市場ではお客の心理を最優先で考えねばならない。人の真似をするな、自分でとことん考えろ。」
とくに心に残っている言葉です。
思考停止/貧困な発想力の地域金融機関の経営陣が鈴木さんと同じこと (トップダウン) をできるか?といえば、不可能です。絶対、無理。
ただ、トップダウンによる挑戦ができなくても、ボトムアップ、つまり顧客に直面する現場のさまざまな意見を吸い上げ、それを弾力的に経営施策に取り入れ、実行に移すだけの度量がなければ経営失格です。
現場の個々人が意識変革することはもちろんですが、経営陣がそれを鼓舞し、後押しするような土壌づくり、つまり「心理的安全性」を醸成することは大前提となります。
コメント
地域金融機関の役職員の、認識の範囲の拡大=心の成長が求められています。そのためには、エクスペリエンス[経験価値]の積み重ねが大切です。当組は、連携先へのトレーニー派遣を増やしていますが、職員の成長が感じられて嬉しいです。
鈴木名誉顧問の『買い手市場ではお客様の真理を最優先で考えねばならない』というお言葉は刺さりますね。
購買行動は価値>価格という構図で発現するんだと思いますが、売り手側が提供する価値が低ければ、結局価格を下げる事でしか振り返ってもらえません。売価を下げるのは自らの価値が低い事の証明、そんな商売を続けているとどうなるか・・・。
『お客様の真理』とは何なのか、益々深く考えなくてはなりません。
かつての上司が営業職員に対し「兵隊さんに頑張ってもらわないと」と発言したことがあります。
お客さまのために営業できない組織は、職員も記号扱いされています。現場は考える力を失うことになります。
以前、慶應SDMの保井俊之さんが某Web上インタビューで、「問題解決手法であるシステム思考やデザイン思考の応用方法の一つが『ダイアローグ(対話)』と言われるものであり、この方法論の特徴がフラットな形式であるからです。人間は、恐縮な言い方ですが、いわゆる『サル山』のようなヒエラルキーのなかにいると、問題解決をしようにも、自由な発想や発言はできません」
と仰っていました。
保井さんにはブレストやワークショップの場を通じて様々なダイアログ手法を教わりましたが、同時にその場が組織の縮図であるということに気付きました。
皆が肩書を気にせず、対等な立場で安心して発言できる「心理的安全性」のある組織であってこそ、イノベーションは起こり得るのだと思います。
銀行のヒエラルキー組織は内部からは大層なものに見えますが、外に出た人間が見たらサル山と一緒で、意外と滑稽でさえあるのかも知れません。
流通を取材した記憶が蘇りました。
鈴木さんは「引き際」が必ずしも鮮やかならず、果たして名経営者だったかどうかは歴史の判断であり、私には分かりません。カルロス・ゴーン然り。
しかし、フランチャイズ加盟店との2週間に1度の会議では、そのスタイルが異彩を放ったことだけは申し上げることができます。
「ロー●ンやファミリー●ートでは最近、これが売れておりまして・・・●%増でして・・・」なんていう、類いのプレゼンには鈴木さんの雷が落ちたそうです。
「既にあるもの(過去)の説明をするな。まだ存在していない価値、未来の話をしろ!」
という、お怒り直撃です。業界トップがありながら、専守防衛に甘んじず、常に攻め続けたのは興味深い話です。追随、後塵を拝する、などが嫌だったんでしょうね。組織任せであれば自然と「守り」に入ったかもしれませんね。
心理的安全がセブンにあったのか、それは私には疑問です。軍隊の規律のようなところもありました。が、一つ言えるのは「過去の説明をするだけならば『会議ではない』ということ」です。資料をメールなりで、回覧すれば良いのですから。
せっかく集まって会議をしているのだから、社内政治のために「読めば分かる確定した過去の話」をするよりも、その「新たな解釈」や「見方の違い」や、ワクワクするようなまだ存在しない価値の話をした方が意味があるのです。
「100円で薫り高い挽き立てコーヒーを店舗で飲める」というバカげた未来の話をすべきなのです。
実現するためにどういう手を使うべきなのか、それを話し合うのが会議です。
「できない理由」を挙げるのは簡単ですが、それはどこまでも社内政治の嫌疑が拭えません。
多胡さんのご見解はその通りなのですが、一方で、あれだけ鈴木さんが進取の精神をたたき込み、手塩に育てたはずのセブンが組織的対応に移行すると、「まじめさ」「横並び」に陥ってしまった、そのことにも目を向ける必要があります。
ジョブズ亡き後のアップルも然り。
創業者や中興の祖亡き後、なぜ組織は傾き始めるのでしょうか。任せていられないと創業家が再び経営に戻るケースが多々あります。
橋本さんの指摘はおもしろいですね。心理的安全性だけではジョブズも柳井もソフト孫も説明がつかないのですよね。京都では日本電産の永守さん。いずれも心理的安全性なんて会社のどこにも欠片もなさそうですから。そしてカリスマが去った後の民主的運営は総じてまじめで面白味がないのも事実です。そして、言えることは、「ワクワク、ドキドキ」はアップル、ユニクロ、みんなに溢れるほどあります。これと心理的安全性の関係を考えるべきなのでしょう。つまり心理的安全性とは単純なフラットだとか何でも許容だけではつまらないということ。必要十分条件ではないのです。尖がった知性と心理的安全性の両立が求められます。
トップから末端まで評価されることを意識する組織にあっては、新しい発想やチャレンジなど生まれにくい状況にあります。それ故、心理的安全性の組織風土を作ることが重要と私も思います。
どうしても評価を優先して考える組織は、数字指向・形式指向になってしまします。
ヒト モノ カネという事業資本で一番の資本はヒトであり、ヒトの発想・チャレンジ・行動が事業価値を生み出して行く源泉です。
成功した企業はカリスマの力により生まれましたが、その後の企業発展は同企業理念をしっかり受け継ぐ社員があってできるものです。
今金融機関トップに求められる資質は、まず末端までの職員の存在価値をしっかり認めそして役立っていることに感謝できるトップです。
けして俺が俺がのトップではありません。トップは黒子に徹すべきです。
良品計画を復興させた松井社長はまさにそうした人と私は思っています。