ミドルリスク層をやれという前に

地域銀行の経営者と議論する場がありました。

ご多聞に漏れず、「これからは過度な担保や個人保証に依存しないミドルリスク層との取引が主戦場だ。」とおっしゃる。

ごもっともなのですが、

(質問1) 「信用リスクが高い以上、実態把握と途上与信管理は必須であるが、その対策は?」

~答えは事業性評価シートと訪問面談。でも、これだけでは動態モニタリングはできませんね。そもそも長期貸出比率が8割~9割の世界では正常運転資金の把握が甘くなります。くわばら、くわばら。

(質問2)「ランクアップに伴う貸倒引当金の戻し益は現場の業績評価に入っていますか?」

~答えは「否」。

多くの地域金融機関の現場の収益貢献に関わる評価は、融資や預金のボリューム、金利収入、手数料収入であり、なぜか融資先の信用格付ランクアップに伴う貸倒引当金の戻し益は含まれていません。

引当率は金融機関によって異なるものの、たとえば「要管理先」を「その他要注意先」のレベルまでランクアップさせれば、二桁パーセントの戻し益を見込むことが可能です。

不良債権化したら現場の責任。しかるに経営改善/事業再生の支援によりランクアップさせても現場の業績評価にカウントされない。

失敗したらアウト、上手くいっても (とても難しいことを成し遂げても) 評価されない。これでは現場はミドルリスク層に向き合おうとしないでしょう。

上記のような体制整備なく、「ミドルリスク層をやれやれ」と後方で進軍ラッパを吹く、経営陣と本部に「喝‼️

 


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コメント

  1. 寺岡雅顕 より:

     「融資に詳しい者は、数字を伸ばせない」と言われた時代に立場を築づいてきた方々は、当局の発信や識者の論考のなかから、都合のいいことを表層だけつまんで、企画書にまとめるのがお上手です。

     彼等が企画経営すれは多胡先生仰っているようなことになってしまうのもわかります。

    ★★

     忘れていました。

     「融資に詳しいものは、リスクを取ろうとしない」と彼等は言いますが、リスクを見極められなくては、数字を伸ばせないどころか、「不良債権を積み上げてしまう」事になります。

     私の知る限りでは、融資に詳しい方ほど果敢にリスクを取りに行っていたように思います。なぜなら、日ごろから動態モニタリングを繰り返し、実態に目を向けているからそれができるのです。

     残念ながら、動態モニタリングに必要な基礎を身に着けた職員の養成すら、継続的組織的に行われている金融機関は、あまり見かけません。基礎を必要とする職員は毎年入行して来ます。階層別に積み上げる研修体系を構築できている金融機関は少ないようです。

     継続的な研修は、「また今年もおなじことをやっている。代り映えしない」と先述のエリート達は考え、排除するようです。目先の数値を伸ばすテクニックと商品知識などは、数字を伸ばしたい方たち(自分を評価する方たち)に受けがいいことから、繰り返されるのですが・・・(苦笑)

     基礎をうしなえば絵にかいたスローガンなんぞ、木っ端みじんに吹き飛んでしまうでしょう。

  2. 橋本卓典 より:

    未だに「運転資金の状況を気にもしない」銀行がいるのですね・・・

    「気にもしない」という感覚は、どこからくるのでしょう。おそらく「そんなことをして単年度収益にどれほど貢献するのか?」という近視眼的経営のプレッシャーから来ている「気にもしない副作用」だと思います。

    遠藤金融庁長官が「理念と実践の逸脱」と指摘しているのは、「近視眼的経営」が投信回転売買や外貨建て保険商品、仕組み債、異常なアパートローン、カードローンなどの目で見える金融商品の「暴走販売」だけを警戒しているのではありません。

    「近視眼的経営」は、単年度収益への貢献度合いでは説明しにくい(←費用対効果は計測できない)が、銀行であれば、当然の『リスクの管理』(事業者を常に知っている状態)という根幹部分すらも台無しにしてしまう危険性があることを「逸脱」としているはずです。

    ある地銀頭取が記者会見で「取引先の突然死が増えた」と、あたかも被害者であるかのような珍妙な発言をしているようです。「突然死」とは何でしょうか。では、「地域の主治医」たるあなたの銀行は一体何を診ていたのか。「手を尽くしたが力及ばず、残念です」くらい言えないものでしょうか。Emotional Intelligenceとしても最悪です。「突然死」と言われる事業者は、どう感じるでしょうか。そんな医者にみなさんは診てもらいたい、外科手術を任せたいですか?

    事業性評価という言葉はある意味でもっともらしく危険です。好き勝手に都合良く解釈してしまうからです。絶対評価者の金融庁が計測すると、計測される側は「巧妙な最適化行動」で偽装します。

    単純に考えましょう。「それを決めるのは誰か」ということです。私の最近のお気に入りの念仏です。問題を整理する時に唱えるには最適です。金融庁に個別事業は分かりません。故に金融庁が言う「事業性評価」は、究極的には無責任です。実際、金融庁は責任をとれません。他方、銀行にも根本的には事業は分かりません。「分かろうと迫る」ことができますが、「最初から分かっている」ことはありえません。そもそも銀行法で事業は規制されていますので。

    「事業性評価」―。それを決めるのは誰か。それは「まともな事業経営者」です。まともな事業経営者がやっていることが文句の付けようがない経営が「事業性評価」です。

    「まともな経営者」は、提供するサービスであれ、製品であれ、品質向上に手を抜くことはありません。さらなる改善を試行錯誤しています。さらに、仕入れ、人件費の管理、従業員の士気などについても常に目配りをしているはずです。運転資金など当たり前で、返済原資の確保、借り入れのタイミングなども考慮しているのではないでしょうか。

    もちろん、「まともな経営者」というのが現実的にはなかなかいないのは、私も感じています。どこかに弱点があります。だからこそ、その足りない部分を主治医たる銀行は、問診して、血圧(運転資金)を測り、アドバイスし、生活習慣を改めるように促し、処方箋を出し、時に輸血などの処置も施さなければなりません。別の患者も救わねばならないので、健康になれば、献血もしてもらいます。ですから、大震災クラスの惨事ならともかく「突然死」などありえません。己の力不足に他なりません。責任回避の香りのするいいかげんな言葉を使うのはやめましょう。

  3. 寺岡雅顕 より:

    【運転資金に限って考えると】

      多くの金融機関は、 「短期継続融資を進めなければならない!」と声を上げます。

     

     しかし、「当局が盛ん短期継続融資を求めている」というのが、そもそもの動機で、「『取り組んでいる』と意思表示しておかなくては当局からにらまれる・・・」という程度に止まっているケースが多いように感じています。

     その場合、「事業性評価に基づく短期継続融資」という意味を「深く考える」こともありません。当然、必要な体制を整えることもなく、その為に必要な基礎と矜持を取り戻す取り組みも疎かになっています。

     一方、「当社と契約すれば、システム的に短期継続融資見合いの運転資金部分を算出してあげます。これで容易に推進できます」といったセールストークで取り入ろうとするコンサル会社も存在します。

     手っ取り早く結果を得たいレイジーな金融機関と利害が一致しているだけに、根が深い問題です。