地域金融機関の人たちとの対話の中で、いつも大きな気づきを与えてくれるのは、中小企業の経営改善や事業再生を担っている人たちです。
先週会った事業再生のプロフェッショナル P氏は、中小企業の過剰債務に非常に危機感を持っていました。
金融機関が資金需要の有無にかかわらず、貸せる先にどんどん貸し込んでいるとの指摘です。
この数年、決算数値を見るまでもなく、地域金融機関のほとんどは貸出金利の低下を融資ボリュームの拡大でカバーしながら、かろうじて収益を維持しています。
住宅ローン、賃貸アパートローンといった業種ごとの融資の伸びには注目するのですが、業種にかかわらず「貸せる先にはどんどん貸し込む」という行動の全容を把握することは容易ではありません。
過剰債務は金融機関の自己本位によるものであり、顧客本位の業務運営とは程遠いものがあります。
P氏も言及していましたが、過剰債務状態の中小企業の多くは景気の減退で苦境に陥ることは間違いありません。
ところで、
過剰債務の背景にあるのは地域金融機関の業績評価です。
融資ボリュームこそが現場の成果指標の最右翼である限り、中小企業が過剰債務になるのは、忌々しいことですが、当然の流れといわざるを得ません。
経営改善や事業再生の視点を業績評価に組み込まない限り、地域金融機関の現場は過剰債務問題に立ち向かおうとしないでしょう。
業績評価を放置しておきながら、「顧客本位だ!」などと嘯く地域金融機関の姿勢が容認されることはありません。
過剰債務問題の解消、すなわちバランスシートのスリム化をどのように業績としてカウントするか、知恵の絞りどころです。
地域金融機関の皆さん、あなたの組織はこのような議論をしていますか?
(後半に続きます)
コメント
「融資推進とは、お金のいらないお取引先に融資を押し込むことだ!」と、着任早々、自信満々に言い放った幹部がいました。
もちろん、その場で部内の発言は押さえ込みましたが、彼を登用する大幹部に、その意識が根底にあったのでしょうね。 いまだに、同じことを繰り返している金融機関があるとは・・・。
ハイ これは2012年のお話です。
貸出金利息収入やビジネスマッチング・預り資産手数料が業績評価に組み込まれている場合、必ずしも「営業推進=顧客本位」とはなりません。
私の勝手な偏見ですが、上記のような業績評価の体育会系組織で特に「業推無罪」が起こるような気がします。
そしてこれも勝手なイメージですが寺岡さんのコメントにある「幹部」の方は、例え部下が自行本位セールスでクレームになったとしても「顧客に迷惑を掛けたが業務推進に積極的な姿勢は評価する」なんて言いそうです(笑)。
融資残高などの業績評価で組織を管理しようとする金融機関経営者に「自行本位であり顧客本位ではない」と注意しても馬耳東風かもしれません。経営者として収益確保をめざすのは当然で、そのために各ユニットに業績目標を課すのも当然だと考える人たちに、その論理のどこが破綻しているのかを説明し、顧客本位が収益確保の道であることを示す必要があります。R・インパクトの2次元グラフはそれを視覚的に示そうとする考えから作りました。ユーザーから価格でしか支持を得られず、提供する金融サービスの価値を認識してもらえない金融機関に、持続性はもちろん収益性も期待できないことを示さねばなりません。一番に手早い方法はNPSのレベルなりベクトルと当該銀行の収益率の相関を客観的に示すことなのですが誰かやってくれませんかね。
他の業種と比べ、金融は、もはや何をしているのか分からない位に悲惨な様相ですね。デジタライズをしようが、Tシャツ・ジーンズ出勤をしようが、根本的に時代錯誤です。
先日もオープンAPI対応(契約)が遅れている記事がありましたが、「自分たちに何のメリットがあるのか分からない」という金融機関の開き直りに笑ってしまいました。顧客にインターネットバンキングのID パスワードをフィンテック事業者に預けさせているという「不安と煩わしさ」を解消しなければならない、という発想が根本的に欠落しているのです。
そこに一片の「合理性」(?)があるのだとしたら、「高すぎる銀行員の給与を維持するため」だけに、耐用年数を遥かに超えた巨大な駆動軸が動いているとしか、思えません。それは、顧客にとっては暴力であり、悪夢に他なりません。そして多くの顧客は、金融の「あざとさ」を先刻ご承知で、「その手には乗らない」という傾向がますます増えると思います。完全な悪循環です。
「資金需要の有無にかかわらず、貸せる先にどんどん貸し込んでいる・・・。」
このようなコメントは苦しくなります。
上記行為の向こうに、お客さまがいることはもちろんですが、苦しむ金融機関の職員もいます。
お客様も職員も不幸です。
苦しむ金融機関の職員の皆様はどうかご自分の倫理を貫いてください。
そうすれば、お客様も、一人の人間としてのご自分も幸せです。
必ず幸せですから。