金融機能強化法による公的資金を導入した地域銀行の計画書 (3年ごとにロールオーバー) の審査をする仕事をしていますが、今年で10年になります。
公的資金が地域銀行の資本に組み入れられ、それをテコにして、金融包摂、金融仲介の円滑化が進むかどうかが審査の主たるチェックポイントです。
とりわけ公的資金で資本充実した地域銀行による地域の中小企業の経営改善や事業再生というのは重要な点であり、間違っても公的資金が導入した地域銀行の不良債権処理に使われることのないよう、厳しくチェックする必要があります。
10年間を回顧しますと、当初は不良債権処理に公的資金が利用されたのではと思われるようなケースもあったのですが、最近は「ミドルリスク層への取り組みに傾注」など法律に則ったものとなっています。
とはいえ、いくら計画書は立派でも、それが如何に実行に移せるかとなると、まだまだ危なっかしい銀行があることは否定できません。
審査会では計画書の内容というよりは、その運用のところを確認しているのですが、実効性に疑問を持たざるを得ないケースがなくならないのは残念です。
こういう銀行は計画書を通すことが目的となっており、パスさえすればあとは野となれ山となれ。
公的資金をなんだと思っているのでしょうか。
行政サイドによる厳しい視点でのフォローアップが非常に重要になります。
コメント
公的資金導入行の状況について、計画の履行に対し「実質的」に真摯に取り組んでおられる銀行と、計画を「形式的」にクリアしようとしている銀行があるということでしょうか。
地域銀行の多くが経営理念に「地域経済の発展や地域社会への貢献」「地域との共存」を謳っています。おそらく公的資金導入行も、同様の素晴らしい理念を掲げていることと思います。
理念の通り地域経済の発展や地域社会への貢献が「目的」であれば、計画の履行・承認はあくまでも「手段」であり経営陣は審査会の有無に関わらず常に進捗を把握すべきですし実際やっておられることでしょう。
しかし理念が蔑ろにされている場合、計画書の承認どころか公的資金の返済が「目的」で「手段」が返済財源の積増し(=儲ける)ということになっていたりするのかも知れませんね。
審査会後の各行アクションも非常に気になります。
「東北の銀行員」さんのご指摘の通りです。
理念からの「逸脱」に対して、内部で声を上げられない「心理的安全のなさ」が、組織を蝕みます。
そもそもですが、生産管理手法が開発され尽くしている一部の製造業(新規開発部門は除く)ならばいざ知らず、Emotional Intelligenceなど複雑系の対応が問われるサービス(一言で言えば、リレーションシップ・サービス)に旧ソが強制労働として日本人に課した「ノルマ」を適合させようとする方がおかしいのです。
「実行する組織」ではなく「学習する組織」を目指さなければ、時代の変化に対応することなどできようはずがないのは自明です。
公的資金について
あとは野となれ山となれ
行政の厳しい視点のフォロー必要?
驚きです。
これが普通の中小企業の話なら、即倒産ですね。経営が機能していないのですね。
本来であれば金融機関こそがキレイなお金を循環させる役割があり、創造の要のはず。
幹部自らの肩書と老後の安泰のために地元からの収奪による利益や、公的資金の返済など、良いお金のはずがありません。
「お金は経済の血液」だということを忘れているのですね。
大勢の職員が無作為犯となり血が凍結してしまう。そこに生きた血の通う新人が入ってきても、すぐに退職してしまうのは当然の反応です。
仮に職員は辞めればいいかもしれない。しかし地域のお客様はどうすれば?!
多胡さんが10年間この業務に携わることは奇跡のようですね。この記事を拝読しただけで、サジを投げたくなります。
金融機関の職員は仕事に熱心で、愛社精神もあります。自分の会社を否定することは自分を否定することにつながるため蓋をします。
ことの次第に気付いた時はかなり精神的には追い詰められているでしょう。
その時にこういった活動を続けている人がいると知った時の感動は言葉にできないほどです。
私がこちらにコメントさせていただく理由は、経営に対する批判の表明というよりは、金融機関で苦しむ職員の皆様が、その苦しみは「自らのいたらなさではなく、当然の反応だ」ということをお伝えしたいのです。