五能線

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日曜日の乗り鉄紀行は五能線です。

奥羽本線の川部 (弘前の近郊) と東能代を結び、途中に五所川原を通るローカル線ですが、1973年まではハチロク( 8620 形式)という古参SL のメッカでした。

1970年にハカセと北海道を回ったときに、最終行程ぐらいはユースホステルではなく、ちゃんとした温泉旅館に宿泊しようと立ち寄ったのが、青森県の大鰐温泉の銀水旅館。いまでも忘れないのですが、一泊二食付き 1500円でした。

大鰐に向かう途中に立ち寄ったのが五能線。とはいえ限られた時間だったので川部から板柳まで足を踏み入れた程度。

本格的に五能線を走破したのは社会人になってからでした。

ちょうど司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」を読んだあとだったので、そこに登場する北前船の港である五能線の深浦 (奥羽本線の土崎もです) には興味津々でした。

冬の日本海を見ながらの各駅停車の旅、高田屋嘉兵衛の苦闘が目に浮かびました。

最後に、

ハカセの写真館は五能線の岩舘~大間越。3ショットすべて197212月の作品です。

 


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コメント

  1. ARC より:

    72年だからまだ蒸気がいたのですね。

    アッシも五能線に入ったのは社会人になってから、、、ずいぶん昔のことなので季節もハッキリしませんが、十二湖・日本キャニオンと寄って、陸奥岩崎に一泊しました。

    駅前にも旅籠がありましたが、ずいぶん寂れた様子なので、駅の看板で見た陸奥岩崎温泉旅館にしました。電話番号が陸奥岩崎1番。

    駅前の電話ボックスからその1番に電話したのですが、あるのはダイヤルのない電話機。横のハンドルを回すと交換手が応答する代物。

    ・・・って、この話はどこかで書いたような気がするのでここまで。

    そういえば、ワタシらの子供の頃は長距離通話は交換手経由の時代でしたなあ。

    五能線の旅からしばらく経って、全国ダイヤル即時通話完了(’79年3月)の報道があったので、五能線に入ったのは’78年くらいでした。