昨日のブログで、金融機関のコンプライアンスが、「法令等遵守」から「顧客の利益を害する取引の防止」へと変化していると書きました。
もはや、法令等遵守、つまりルールを守ることはミニマムスタンダードに過ぎません。単なる形式主義かもしれない。
実際、ブログの内容に対し、顧客本位の業務運営を粛々と進めている地域金融機関の経営者からは、
「コンプライアンスとは紳士たれということ」、
「コンプライアンスとは自分の良心を遵守すること、お客様保護。」
とのメッセージがありました。後者は昨日のブログにコメントを下さった新田さんです。
また地域金融機関への「事業性理解に基づく顧客本位の業務運営」の伝道活動を続けている有識者からは、
「コンプライアンスは品位である」
とのコメントをいただいています。
このように「顧客本位の業務運営」に本気で取り組んでいる人たちのコンプライアンスの定義は法令等遵守ではないのです。
ワタシは「紳士たれ、自分の良心を遵守、品位」という言葉の中には、「東日本銀行やスルガ銀行が行政処分となったようなことをやるな」という「やめろメッセージ」だけではなく、「顧客が困っているのに傍観していてよいのか」という「不作為の罪を問うメッセージ」が含まれているものと思っています。
コンプライアンスという言葉は「守る」という意味なのですが、不作為の罪を問うレベルまで、踏み込まないとコンプライアンス・リスク管理とは言えません。
コンプライアンスという袋の中に「義を見てせざるは勇なきなり」というお札の入っている地域金融機関こそ、真の意味で顧客本位です。そして顧客と共通価値の創造ができるのです。
コメント
ご指摘の通り、何にコンプライするのかが重要ですね。法令?良心?理念?…。法令とは他律的なものにすぎず、自律的にどう行動するかが問われています。金融業界にとどまらず、企業不祥事の多くは、ここに起因しています。
自律性(Autonomy)。まったく同感です。
自律性がある/ない、というのは組織文化そのものと感じます。
福澤諭吉曰く「一身独立して、一国独立す」
自律性(Autonomy)。まさに同感です。組織文化そのものですね。自分の頭で考え、行動する自律的な個なくして、なんの組織かと。
自律性ある個があって、綜合されてこその組織なり、チームですね。ラグビー日本代表然り。
福澤諭吉曰く、一身独立して一国独立す。
うまく表示されず連投になりました。失礼しました。