東京に住む人の多くは地方にルーツを持っています。
ワタシは東京の公立中学 (大田区)、公立高校 (渋谷区) に通っていたのですが、同級生の中に占める生粋の江戸っ子は半分もいませんでした。江戸二世/江戸三世がマジョリティだったと思います。
ワタシも江戸二世ですが、両親とも島根県安来市の人間です。
かつて安来はどじょうすくいの安来節で知られていましたが、いまは足立美術館のほうがはるかに認知度が高いようです。
島根県は過疎化が進み、日本の課題先進地域などという人も少なくありません。
人口は国勢調査が始まった大正時代の数を唯一下回った県ですし、事業者数もどんどん減少しています。
昨今、中小小規模事業者は余力があるうちに廃業すべしとの論調もありますが、余力があれば徹底的に支えていくとの思想で、27年前から小規模企業の経営改善/事業再生に取り組んでいる信用保証協会が島根県であることは周知の通りです。
そんな島根県のために微力ながら支援することが、先祖への恩返しと思います。
コメント
私の記憶は島根県から始まります。
JR山陽本線幡生駅から夜行の普通列車(※)に乗って出雲大社・日御碕に向かった昭和31年2月だったと思います。寝たきりになった大叔母を見舞う旅でした。
(※)普通列車なのに停車しない駅があったのが不思議でした(笑)。
出雲大社で初めて本物のおまわりさんを見て怖かったこと。がっけぷちの道を日御碕に向かうボンネットバスが海に落ちそうで怖かったこと。尾鷲浜に降りる入り口の高台にあった屋敷(10年前位に解体されたようです)から見た日本海の美しさが、断片的に脳裏に焼き付いています。
大叔母に子供ができなかったため島根県には血縁者はいませんが、第二の古里です(笑)。12月には墓参りに行ってきます。
三代続くのが江戸っ子、なんてのはどこから出たんでしょうね。
その伝でいえばコチとら江戸っ子なんですが、あまり「生粋の」なんて気分はありませんなあ。
アチコチ動いたからでしょう。転勤族ってヤツですね、お互い。
江戸っ子気質もあまり受けついでません。敢えていえば、金離れがいいこと、くらいかな・・・
それはともかく、安来の足立美術館、、、あれはいい。
写真の列車、よくみれば重連じゃないですか。何と贅沢な。
寺岡さま、
当時の時刻表を確認しました。
門司発 米子行の夜行客車列車、812列車です。
幡生発23:42、滝部 (0:54) までは各駅停車ですが、そこからは急行列車並み。正明市(いまの長門市1:36)、萩2:13、東萩2:20、須佐2:58、江崎3:08、石見益田3:31、浜田4:24。
浜田からは各駅停車となり、出雲市には6:53に到着します。当時は大社線がありましたから、出雲市から大社までは鉄道ですね。
ありがとうございます。その列車ですね、
通路に新聞紙を敷いて皆さんしゃがみ込んでいらっしゃるほど混んでました。
途中でおトイレに行きたくなりましたが身動き取れず、大人の方に手渡しリレーでトイレまで運んでいただき、知らないおじさんにお手伝いいただき用を足した記憶が鮮明に脳裏に刻まれてます。その時に、駅に停車しない普通列車に不思議を感じたのでしょう。
2度目の島根は高等学校の修学旅行でした。小郡(現新山口)から急行列車で出雲に出て、大社・日御碕を回り、宍道湖温泉(松江)に泊まった時です。昭和46年3月でした。
日御碕では大叔父が、灯台の駐車場まで、見つけやすいようにと、羽織袴に山高帽をかぶって、迎えに出てくれました(笑)。「お前なにものだ!」と同級生に笑われましたが、いい思い出です。
ARCさんは江戸ハーフだと思っていました。
江戸っ子と地方人(浜松だっけ)。
寺岡兄様の素直で可愛らしい幼少時代を知ることができました(笑)
そう、確かにハーフです。
気質が中途半端なのはそのせいだな、きっと。