吉備線と片上鉄道

日曜日は乗り鉄紀行です。

11月22日のブログ「地域金融のいま 第2弾」で取り上げた吉備信用金庫。

その本店がある総社と岡山を結ぶ吉備線には、かつてC11という小型のタンク式 SLが牽引する列車が走っていました。

岡山駅の端っこに吉備線のSL列車がひっそりと停まっている、 40数年前の画像が微かに思い出されます。

吉備線の沿線には備中国分寺などの歴史遺跡があるのですが、ワタシは備中高松城址に行ったことがあります。岡山駅から備中高松駅まで吉備線のディーゼルカーに乗車しました。11キロ、20数分ののどかな旅でした。

備中高松城は言わずと知れた秀吉軍と毛利、吉川、小早川の連合軍が対峙したところ。1582年のことです。秀吉はここで本能寺の変を知るや、城将清水宗治の切腹を条件に和睦、中国大返しで明智光秀を討ち、天下統一への道を一挙に駆け上がるのです。

もう40年以上前のことですが、備中高松城址に立ち、秀吉や吉川元春、小早川隆景の布陣した方向を眺めたことが思い出されます。

さすがのハカセも吉備線のSL時代の写真はないそうで (残念)、代わりに同和鉱業片上鉄道の写真が届きました。

さて、片上鉄道。

ワタシの高校生の頃、鉄道趣味の雑誌で片上鉄道の SL が取り上げられていました。調べてみると1968年までSLが走っていたようです。

赤穂線の片上から山陽本線の和気を経て、棚原までの33.8キロ。棚原鉱山の硫化鉄鉱を片上港までの輸送路線でした。1991年に廃線。

ワタシは残念ながら片上鉄道には乗ったことがありません。新幹線が新大阪までの時代に、岡山からの伯備線、広島、小倉へ何度か往来する際に、和気駅を通り、そのたびに片上鉄道のホームをチェックしていましたが、車両を確認することはできませんでした。

和気は奈良時代に弓削道鏡の陰謀を阻止したという和気清麻呂 (733〜799) の出身地であり、清麻呂の堂々たる銅像が東京大手町の気象庁の向かいにあるのは周知の通りです。

最後にハカセの写真館より、片上鉄道。

いずれも1984年7月の作品です。

終点の棚原駅
和気〜本和気
和気駅

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