ポール・ボルカー氏の逝去の報に接し、1980年の記憶がよみがえりました。
当時、ワタシは邦銀のロンドン支店でユーロドル債券の運用をしていました。
インフレ・ファイターのボルカー氏の金融引き締めで、1980年3月にユーロダラー金利 ($LIBOR)は20%台に急騰、夏には10%割れの1桁金利(7%ぐらいだったか?)に降下するも、同年年末には22%まで駆け上がるという乱高下。
当時ワタシたちの運用していた債券ポートフォリオは9割以上が変動利付き債券(FRN= floating rate note) だったのですが、1割に満たない固定利付債券での損失がFRNの利鞘収入をいとも簡単に吹き飛ばす勢いに震えが止まらなかったことを思い出します。
当時、邦銀のロンドン、香港、シンガポールなどの拠点の外貨資産で大きなシェアを占めていたのはシンジケートローン (ユーロダラー建) とFRNでした。
シンジケートローンもFRNも、6ヶ月ごと(一部3ヶ月もある)に金利を見直すのですが、そのベースレートとなるのはLIBOR (ロンドン ・インターバンク・資金の出し手・金利) です。
このLIBOR、不正操作問題で2021年末には役割を終えようとしています。
ボルカーショックとLIBOR、ワタシの20代を彩った思い出のキーワードが歴史になろうとしています。