箱根駅伝のランナーたちが増上寺の前を南下するのを見て、ここを走っていた都電の風景がよみがえりました。
東京の中心部から路面電車が消えて、50年以上が経過しました。
高校一年生の冬、ハカセとともに増上寺前、品川駅、清正公前などに写真を撮りに行ったことが思い出されます。
いまワタシが住んでいる近隣を走っていたのは、中目黒と築地を結ぶ 8系統でした。
中目黒→ 下通5丁目→ 恵比寿駅→ 渋谷橋→ 広尾1丁目→ 天現寺橋→ 光林寺前→ 四ノ橋→ 古川橋→ 三ノ橋→ 二ノ橋→ 一ノ橋→ 麻布中ノ橋→ 赤羽橋→ 東麻布1丁目→ 飯倉1丁目→ 神谷町→ 西久保巴町→ 虎ノ門→ 霞が関→ 桜田門→ 日比谷公園→ 数寄屋橋→ 銀座4丁目→ 三原橋→ 築地
広尾橋 (現在の広尾駅) と霞町(現在の西麻布交差点)、六本木は通りませんが、現在の東京メトロ/日比谷線が都電8系統の路線を概ねフォローしています。
身体を悪くしてからクルマでの移動になりましたが、8系統のルートを通ることが多く、路面電車の足跡を感じます。
写真はハカセが写した廃止日(1967年12月9日)の中目黒駅の8系統です。
若者たちが集まるオシャレな中目黒、当時はそういうイメージはありませんでした。
コメント
日比谷線ってホント8系統なんですね。
妙なところを通ってるなあと思ってましたが、都電の停留所を見て何となくわかりました。
(といっても、停留所とて半分以上は土地勘ありませんが)
それにしても何で中目黒が始点になったんだろう。
(昔、隣の祐天寺にいましたが中目黒なんて何てことなかったのに・・・)