日曜、乗り鉄紀行。今日も、山と鉄道です。
郡山から磐越西線の列車に乗り、左車窓に猪苗代湖が広がってくると、右手前方に磐梯山の姿をとらえることができます。
磐梯山の麓の摺上原(すりあげはら)は1589年、伊達政宗が蘆名勢と大会戦を行ったところ。車窓越しに戦国絵巻を脳裏に描きながら、電車に揺られて、会津若松を何度も訪問しました。
会津磐梯山とくれば、小原庄助さん。
朝寝朝酒朝湯が大好きで身上潰した庄助さん、会津で聞くと「諸説があってよく分からない」との回答が多かったのですが、信州高遠では庄助さんのルーツは高遠。高遠藩主の保科正之が山形、会津若松と加増転封とともに会津に行ったということになっているようです。
高遠で話を聞いた時には、朝から酒飲んで破産しただなんてラテン系、信州人っぽくないなと思いました。
磐梯山と鉄道。ハカセから送られてきたのでアップします。
★追記
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