年末年始の休み、サブスク契約したU-NEXTの配信で1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」を見ています。幕末から西南戦争までの話です。
2004年から2017年まで鹿児島で仕事をしてみて、改めてこの番組を見ると新たな発見があります。
鹿児島の話はさておき、今回は幕府側のある人物が気になりました。
板倉勝静(いたくら かつきよ)です。
大政奉還、鳥羽伏見の戦いと将軍慶喜に付き添っている老中、備中松山藩主で、農民だった山田方谷を執政に登用することで抜本的な藩政改革を行っています。
上杉鷹山をはじめとして改革派大名は養子が多いのですが、板倉勝静も奥州白河藩主の息子(寛政の改革・松平定信の孫になります)で板倉家に婿入りしています。
江戸城明け渡し、慶喜の水戸蟄居のあと、この殿様が宇都宮、奥州へと転戦し、箱館政府にまで参加しているのには驚きました。
箱館政府に名を連ねた殿様は板倉勝静のほか、小笠原長行(老中、肥前唐津)、松平定敬(桑名藩主、会津藩主・松平容保の弟)と、西軍に徹底抗戦した譜代大名です。
その晩年、旧領である備中高梁で国立八十六銀行の設立に関わっていたのは知りませんでした。
http://194takahashi.blog86.fc2.com/blog-entry-254.html?sp
気骨のある殿様が肝煎となって設立された銀行の今は、、、
昨年10月、中国財務局・岡山財務事務所の地域金融シンポジウムで辛口の基調講演を行ったワタシとしては大いに気になるところです。
★「山田方谷」についてはこちらに、