昨日の七戸藩に続いて、今日は斗南藩の足跡です。
斗南藩は戊辰戦争後に会津藩が移封されて、できました。
豊穣の地・会津から寒冷不毛の地へ、会津人の苦労を想像すると胸が痛みます。「ある明治人の記録ー会津人柴五郎の遺書 (中公新書)」を読んだときの衝撃が蘇ります。
斗南藩の中心は田名部(たなぶ)、むつ市の中心ですが、かつての東北本線・野辺地(斗南藩領)から大湊線でマサカリ半島を北上したところにあります。
田名部には何度か訪れていますが、ハカセやARCさんとの旅(2010年夏)では大間からバスで入りました。
仕事関係で訪れた際には、田名部にある「むつグランドホテル」に宿泊しましたが、斗南藩に関する資料が展示されていたのを思い出します。
早朝にホテルの窓から恐山の方を眺めましたが、寂寥感を抑えがたいものがありました。
陸奥湾に沿って走行する大湊線のディーゼルカーの写真がハカセから送られてきました。(有戸~吹越、1993年8月18日)