播但線と竹田城

先週は中小企業大学校(関西校)において、地域金融変革運動体のコアメンバーである森俊彦さんと竹内心作さんが登壇と聞きました。

同校は兵庫県福崎町にあります。

福崎は姫路と和田山(山陰本線)を結ぶ播但線の沿線にあり、かつてはC57、C11といったSL列車が往来していました。C11の牽引する姫路~寺前の客車列車に乗車したような気がしますが、いつのことだったか?

1998年に福崎を含む南の区間(姫路~寺前)は電化され、電車が走っています。

2008年晩秋に大阪から姫路経由で播但線に入り、竹田城跡を訪れましたが、寺前から生野、竹田と北に進むにつれ、SL時代を思い起こさせる車窓が展開し、とても懐かしく思いました。

竹田城の攻防戦は秀吉の中国攻めの序盤戦で、弟の羽柴秀長が攻め手の将でした。

堺屋太一さんのベストセラー「ある補佐役の生涯、豊臣秀長」のことを考えながら、城跡へと竹田駅の横から山道を真っ直ぐ登りましたが、すれ違う人もなく、目的地にも数名。すでに日本のマチュピチュといわれはじめた頃でしたが、まだまだのどかなものでした。

2009年夏には、寿命が見えてきたキハ181系の特急「はまかぜ」に大阪駅から乗車、播但線を全線走破して山陰本線の浜坂駅まで行きましたが、このときは木が生い茂っておりマチュピチュの石垣を列車内から確認することはできませんでした。

50年ほど前、播但線には不定期ながら冬場になるとSL三重連の列車があり、SLマニアには知られていましたが、さすがハカセはその姿を写真におさめています。

姫路行列車(生野~新井)1972年2月19日

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コメント

  1. 竹内心作 より:

    大学校からの帰りに、福崎駅でたまたま大阪に戻る「はまかぜ」に遭遇しました。
    特急列車が停まるんだ!と(失礼ながら)驚きました。
    でも車内はガラガラで、コロナなかりせば香住あたりでたらふくカニを食べた乗客で満載だったんだろうなと少し寂しく感じました。