大河ドラマ「麒麟がくる」も本日を入れて残るは4回となりました。
明智光秀と細川藤孝・忠興父子の丹波・丹後攻めも本格化します。
丹後平定後、細川藤孝が本拠地を置いたのは田辺、今の舞鶴です。
人口8万人弱の舞鶴市は日本海に面し、田辺藩の城下町だった西舞鶴と、日本海軍の拠点・東舞鶴とが山で分断されています。
十数年前に宮津で講演の機会があったのですが、早朝に大阪を出て、福知山線、山陰本線、舞鶴線経由で西舞鶴に向かい、きれいに整備された田辺城址を訪ね、関ヶ原戦の前哨戦の一つである田辺城攻防戦をイメージしました。
細川忠興率いる主力部隊は家康に従軍して会津に向かっているため、田辺城に残るは藤孝以下数百名。それを西軍15000が包囲するという田辺城の戦いは50日続き、後陽成天皇や公家衆が間に入って講和、開城となったのです。
西舞鶴駅からは北近畿タンゴ鉄道に乗車しました。(かつての国鉄宮津線ですが、2015年には京都丹後鉄道=WILLERグループ=宮舞線となっています。)
西舞鶴~宮津は、1968年3月以来です(当時はC58が牽引するSL列車でした)。
西舞鶴から宮津までの区間のハイライトは何といっても大河に船出するが如き「由良川鉄橋」の走行で、ディーゼルカーの運転席の後ろに張り付いて絶景を堪能しました。この景観は間違いなくオススメです。
宮津での講演では何を話したのか全く覚えていないのですが(すみません)、お土産にいただいたオイルサーディンがやけに美味かったことを覚えています。
いまでも丹後宮津とくれば条件反射的にオイルサーディンが出てきます。
ハカセの写真は2009年8月8日の北近畿タンゴ鉄道・西舞鶴駅です。
ワタシの写真は京都大徳寺・高桐院、細川藤孝の菩提所です(2011年12月4日)。
★おまけ:
かつて宮津線には名古屋/金沢と出雲市を10時間余りかけて走る急行「大社」が走っていました。ワタシにとって乗っておきたかった列車の筆頭です。
コメント
はい、そのオイルサーデインは大谷缶詰という会社の製品だと確信します。宮津の銘品ですから。この大谷缶詰という会社は戦前は帝国陸軍の缶詰糧食を一手に生産していた名門会社が戦後に大陸から引き揚げてきてその事業の一部を引き継いだ会社なのです。
名前が違いました。大谷ではなく竹中でした。宮津の竹中缶詰でした。
ありがとうございます。竹中缶詰ですね。宮津のデータベースにインプットいたしました。
竹中缶詰のお陰で、宮津の「縞の財布が空になるので二度と行くまい」というイメージを払拭できました。