3月31日のブログで、京都信用金庫の社内ベンチャー「まちの便利屋」について書きました。
同じく京都信用金庫、4月30日の日テレニュース24が取り上げたのは、「まちの人事部」です。
昨今、外部の人材派遣業者とタイアップして人材マッチングを行なっていると言明する地域金融機関は多いのですが、「まちの人事部」のビジネスモデルがこれらとは「似て非なること」は、この記事を読めば一目瞭然です。
地域金融、中小企業金融に関して、思うところをズバッと発信します。
3月31日のブログで、京都信用金庫の社内ベンチャー「まちの便利屋」について書きました。
同じく京都信用金庫、4月30日の日テレニュース24が取り上げたのは、「まちの人事部」です。
昨今、外部の人材派遣業者とタイアップして人材マッチングを行なっていると言明する地域金融機関は多いのですが、「まちの人事部」のビジネスモデルがこれらとは「似て非なること」は、この記事を読めば一目瞭然です。
コメント
今日はちょっとした秘話を紹介しましょう。今回取り上げていただいた矢野くんと新田くんを知ったきっかけの話です。本文のなかで新田くんが「6年前から二人で相談して」と話してますが、彼らはその6年前に信金に入社しました。もちろん私は彼らを入社時には認知していませんでした。ある日、とある大学の先生と会った時のことです。先生が「理事長のところにうちの研究室の卒業生が複数入社しました。奴らはその後も仕事帰りに研究室にやってきて勝手に研究活動を続けて毎晩議論してます。」と言いました。そこで、私は、「それは面白い。先生、そいつらの名前は?」と問いました。そして翌日さっそくに彼らから話を聞きました。その後、彼らにはまずは金融の基礎を学ばせたのですが、今般、そもそもの彼らの構想が現実化したということです。卒業して6年というところに奇縁を感じてます。私は信金に入社して6年目に当時の理事長に預金の新商品開発を提案して採用してもらったからです。その新商品は難産の末に世間に出て日経最優秀金融商品賞をいただきました。遠い昔の若いころの思い出です。
おっ、あのCMAは増田さんの発案だったんですね。
あれはものすごいインパクトがありました。
https://tabiblog.net/2018/09/post-a7cc/
はい、CMAは、コミュニティ・マネー・アカウントとして銀行局中小金融課に申請しました。担当の課長補佐は後の大阪国税局長の上野宏補佐、課長は後の信金中金理事長の中平幸典課長、そして銀行局長は信金中金初代理事長の宮本局長でした。日経新聞に報道されてからは取材攻勢を受けて当時は駆け出しだった田原総一朗さんにもインタビューされました。NHKの7時のニュースのトップにも登場しました。考えてみれば私の信金人生は他人様にはお騒がせな人生なのでありまする。いずれにしても29歳から33歳までの若き日々の記憶でござりまする。
本質的に人々にとって「金融機関というもの」はいらないということです。金融機能は必要ですが。考えて見れば「ドラッグストア」もいらないのです。医薬品も生鮮食品も夜間も売っている「駆け込み寺」(→機能)があれば大助かりなのです。実際、ドラッグストアの主戦場は今や生鮮食品です。「生き残る」ということは、時代や社会から必要とされていることに、応えることです。課題解決です。その時、「東証1部上場のナンバー銀行でございます」とか、「●●金庫は銀より偉い」とか、そんな話は、人々にとって、どーでも良いのです。
時代や社会から必要とされることが生き残る価値を産む。社会の変化に敏感になる。分かっちゃいるけど難しいなあ。下手をすると安物の政治家(ポピュリスト)みたいにペラペラの事業者になります。コアな価値は継続的な努力で形成されます。石の上にも三年と言いますか。