日曜日は乗り鉄紀行。
京都駅を起点とする山陰本線の話です。
いまは園部までは嵯峨野線という洒落たネーミングで通勤電車が走っていますが、1970年代までこの区間もSLが走っていました。
1968年に修学旅行で嵯峨野の野宮神社付近でC57が牽引する京都行の客車列車を見送ったことが思い出されます。
山陰本線の京都口は明智光秀の丹波攻略をたどるものであり、沿線の亀岡や福知山は光秀の居城があったところでもあります。
https://www.city.kameoka.kyoto.jp/taiga/documents/mitsuhide_02.pdf
天正10年6月、光秀は亀岡の丹波亀山城を出発し、老ノ坂から針路を変えて本能寺に向かいました。
さて、ワタシの丹波入りはいつも暗闇の中。
東京からの急行出雲に乗ることの多かったワタシは、京都駅のホームに降り立ち、電気機関車(EF58)からディーゼル機関車DF50への付け替えを見ていました。
急行出雲は丹波路に入るとスピードは遅くなり、丹波口、二条、花園と駅名表示版をしっかり捉えることができました。
保津峡を過ぎて亀岡盆地に入る頃には暗闇に慣れて睡魔が襲ってきたものです。亀岡駅通過の記憶はまったくありません。
当時の時刻表を見ると京都発4:20、福知山着6:02。途中停車駅は綾部のみです。
思い出深い急行出雲は、その後特急に格上げとなり、いまはサイライズ出雲として夜行列車の歴史の糸を繋いでいます。
最後にハカセの写真館より、丹波路の客車列車です。