ロンドンで働いていた1970年代末期から1980年代前半は東西冷戦の時代。
赴任時はソ連経由の日本航空DC8(横6座席)でした。
一面真っ白の大地にバイカル湖、エニセイ川、オビ川を窓越しに確認、そしてウラル山脈を越え、途中のモスクワ・シェレメチェボ空港に着陸したのですが、空港ロビーの寂寥感とそこでの緊張感は忘れることができません。
何度か行ったウイーンではNATO諸国の最前線を実感しました。
西ドイツの飛地である西ベルリン・テーゲル空港にはフランクフルトから米国パンナム機(ルフトハンザは西ベルリンには入れず)で入りましたが、東欧共産圏の圧迫をひしひしと感じました、
ただ当時のソ連には、自らの連邦と東欧諸国を支えるだけの経済力に限りが見えていました。
1985年に帰国して、司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」を読みましたが、主人公の高田屋嘉兵衛と接するロシアの人たちが、ワタシの頭を占めていたソ連のイメージとはまったく異なっていることに驚きました。
ロシアのウクライナ侵略。「ソ連の夢をもう一度」、ありえません。
追伸:
旅芸人ブログ「ガリバー地銀、最大の弱点〜二番手の強みは謙虚さ」には、
竹内心作さんが、「菜の花の沖」に関するコメントを入れてくれました。
以下、引用します。
~ご両所(新田さんと多胡)の論考を拝読して、「菜の花の沖」(司馬遼太郎)に登場する北風家のことを思い出しました。この廻船問屋は、私利私欲に走ることなく、当時大阪とは比較にならない程に小さかった兵庫という港を発展させるため、地域に尽くしたそうです。例えば、船乗りが兵庫に寄りやすくするために、飯や風呂をタダで提供した、船乗りが情報交換するためのサロンを開いた、など。雨の日に無料で傘を貸していた、という少しドキッとするエピソードも。「兵庫の北風か、北風の兵庫か」と言われるまで世間の評判は高まりましたが、傲岸さはまったく無かったそうです。(竹内さんコメントより)
これぞトップ地銀のあるべき姿。
「菜の花の沖」のテレビドラマ(2001年)では、江守徹さんが北風荘右衛門を演じました。