熊本城には国の重要文化財となっている建造物が多数ありますが、その中で一番大きいものは宇土櫓です。
430年の歴史を持つ、この櫓も熊本地震の後遺症が大きく、今春より解体修繕に入っています。
宇土櫓は秀吉政権の頃に肥後国の南半分を領した小西行長(北半分は加藤清正)の居城宇土城の天守閣でしたが、関ヶ原合戦後に肥後一国の大大名となった清正が移築したものです。
小西行長は堺の商人あがりのキリシタン大名で、関ヶ原に西軍として参陣、敗れて京都六条河原で石田三成とともに処刑されます。
行長の本拠地、鹿児島本線・宇土駅から有明海方面に分岐するのが三角線(みすみ)です。
ワタシの20代の頃は、三角線は島原半島へのメインラインとなっており、三角島原フェリーは別府~阿蘇~雲仙という九州横断ツアーにとって欠かすことのできない重要路線でした。
ワタシが初めて三角線に乗車したときの列車は、別府から豊肥本線経由で熊本駅に入線してきた急行「火の山」、三角行でした。
観光列車らしくグリーン車をつないでおり、新婚さんらしきカップルが何組か、いたように記憶しています。(下っ端サラリーマンには縁のないグリーン車でした)
ハカセの写真館には三角線のSLがあります。
↑三角線_住吉~肥後長浜_1973年2月25日