安政6年の桜島は?

今朝の桜島です。

噴煙が上がっています。

「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙りはうすし 桜島山」 (平野國臣)

平野國臣(ひらのくにおみ)は、幕末の志士(福岡黒田藩)です。二度目の来鹿の折に詠じたものと言われています。薩摩藩の勤王急進派と行動をともにすべく、鹿児島に来たのですが、脱藩浪人を嫌う島津久光の意向により国外退去させられました。安政6年(1859年)のことです。

そのとき、桜島はどのような姿を見せていたのでしょうか?

Dvc00262

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. ARCadia より:

    写真の桜島の左は日の出の太陽ですね。

    すると、何日か後には桜島の上から出ることになりそうですね。(東向きに見ているとして)

    富士山から昇る(沈むでも)太陽はダイヤモンド富士といってやたら珍重しますが、櫻島ではどうなんでしょう。

    もし、大噴火と重なると、太陽を焙るような格好になりますかね。(太陽には敵いませんね、アハハ)

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    ダイヤモンド桜島がなかったので、冬至のころの桜島をアップしました。これでひとまず勘弁してちょうだい。