終日、東京都西部の東大和市にある中小企業大学校の東京校にいました。
いつも同道してくれるH氏は、奈良県(大和の国)出身ですので、「東大和は奈良県ゆかりの地ではないか?」などと二人で話しておりました。
さにはからんや、東大和市は”大和の国”とはまったく縁もゆかりもありませんでした。
東大和市は、かつて大和村といったそうです。
では大和村が大和の国と関係あるのか
これも違います。
東大和市の前身の大和村は6つの村が合併して、大正時代にできたのですが、その村名の由来は「大いに和す」から。
つまり6つの村の仲が良くなかったわけですね。
その大和村は、その後に大和町となったのですが、市に昇格する際に、東京にある大和町であるから「東大和市」という名前に決まったそうです。
さて
東京に大和町があるのならば、同じ時期、お隣りの埼玉県南部にも「大和町」がありました。
この埼玉県大和町は、東京都と境界を接しており、東武東上線に大和町駅がありました。隣りの駅は成増駅(板橋区)。私が高校時代に東松山の吉見の百穴にハイキングに行った時に「大和町」駅を通ったのを覚えています。
そうです、埼玉県の大和町は、いまの和光市です。
埼玉県大和町は一般公募で名称を募り、和光市という名前になったのですが、その昔は2つの村の合併でできた町でした。2村合併の際に「大和町」となったのは、やはり「大いなる和」という願いからでした。
さらに、
似たような話は東京、埼玉だけではなく、神奈川にもあります。
神奈川県の大和市は、かつて大和村といわれていましたが、この名称も2つの村が合併した時に「大いなる和」とのことで決まったそうです。
東京、埼玉、神奈川の3つの「大和町」の由来はすべて同じだったわけです。
いずれも奈良県の大和の国とは、まったく関係ありませんでした。