このところコロナウイルスの金融対策に関連するものが続いていますが、週末ということで今日は乗り鉄紀行です。
50年前にハカセと訪れた北海道 道東の話です。
網走と釧路を結ぶ釧網本線には、SLの牽引する客車列車が数往復走っていました。
網走近郊の原生花園、川湯・弟子屈の山区間、釧路湿原と、多様多彩な顔を旅人に見せてくれる釧網本線は、乗り鉄冥利に尽きるものでした。
いまや弟子屈駅は摩周駅と観光地っぽい名称になってしまいましたが、当時はテシカガというと「北海道 弟子屈町 出身、二所ノ関部屋」という横綱大鵬関を紹介する国技館での場内アナウンスが耳にこびりついていました。テレビ越しの声でしたが。
「巨人・大鵬・玉子焼き」派ではないへそ曲がりのワタシにも、この場内アナウンスは鮮明に思い出されます。
ハカセの写真は沿線の川湯駅 (現在の川湯温泉駅) での、SL 旅客列車の交換風景です。
コメント
私は羅臼の生まれでこの線に乗っていました。
ストーブの上の鉄桶入れたお湯で温めた牛乳を飲むのが、冬の鉄道に乗る楽しみでした。
この線に乗り、釧路から夜行の「マリモ」に乗って札幌に着くと顔が真っ黒でした。
ふと「チッキ」という言葉も思い出しました。
懐かしいです。
長川さま、
コメントありがとうございます。
当時は羅臼からバスで根室標津に出て、そこから国鉄で標茶経由で釧路に出られたんでしょうね。
羅臼を昼頃に出て、釧路から夜行急行「まりも」で翌朝に札幌。
遠路、大変でしたね。
なお、根室標津の話は、2017年12月17日のブログ「国境の見える町」で取り上げています。
https://tabiblog.net/2017/12/post-4993/
よろしければご覧ください。
多胡
弟子屈にするか、まりもにするか、、、どちらに反応しようかと迷ってるウチに話が羅臼・根室標津に行ってしまったようで。
数年に一度購める羅臼昆布を含めて羅臼には想いがあって、羅臼は少なくとも二度訪れています。狙いは知床横断道路と高砂食堂(だったか)のトド、、、と多分にミーハー的だったのですが。
一方、羅臼まで行ったのに叶わなかったのがセセキ、、、北海道版時刻表にはセセキというバス終点が載ってました。ゼヒ行ってみたかったのですが、期間限定、本数少ない、でまるで歯が立たず。何があるのかと思ってましたが、調べると瀬石といって野趣溢れる温泉があるようです。
また羅臼に行ってみたくなった・・・
羅臼の漁師の家に生まれ昆布もやってました。羅臼昆布使っていただいていること嬉しく思います。
せせきは、磯の岩場に湧く温泉で潮が引いたときは入れるところです。私が子供のころはそれほど有名でもなく単に珍しいお湯という感じで、まして人様の浜の前で、仕事の邪魔をして入るのは気が引ける温泉です。瀬石温泉より先にある相泊温泉は地元の人が作った浜辺の露天風呂で、ここのほうが落ち着いて入れます。国後から昇る朝日を眺めながら湯につかることができます。高砂食堂さんは今はないようですね。
中学卒業後羅臼離れ、何年振りかで行くたびに、道路が立派になりまた港が大きくなっていました。しか人口は8千人から5千人切る状況。物は中央に流れるも町の産業は育っていません。ただ今はシャチとマッコウクジラがみられる穴場となっています。その乗った船でグーグルを眺めながらロシアとの国境を跨ぐのもなかなか面白いです。是非いかれてください。
長川様
詳しい説明をいただき恐縮です。
まず、セセキが終点と思いこんでおりました、全くの記憶違い。
時刻表には確かに相泊の名もありました。
セセキを覚えていたのはカタカナ名が印象に残ったためでしょう。
そういえば心残りがもう一つ、宇登呂-羅臼の航路。
横断道路が通れば廃止は当たり前なのにウッカリで取り逃がしました。
また、羅臼で思い出したのはヒカリゴケの洞穴(何で知ったのやら)。
バスで行ったような覚えがあるのですが、調べてみると歩きの距離ですね。
何しろ終点の街に着けば満足するような目的意識の希薄な旅が専らだった(今もですが)ので思い出すのがタイヘンなんです。
武田泰淳のひかりごけではありませんか。
食人事件の?
スンマセン、見逃してました。
ヒカリゴケの件は、記憶も怪しいくらいなので予め狙って見に行ったとは思えません。
武田泰淳先生、、、の可能性もないかと。
そのころ、先生の著書は一つとして読んでおりませんので(イヤ、その後も・・・)。
旅行ガイドに載っていたとも思えないので何で知ったのやら。
羅臼に入ってから何か情報を仕入れたのか。
※泰淳先生は敬遠ですが百合子さんの「犬が星見た」などは大変面白く読みました