沖縄復帰を祈念したネーミング

 昨日は沖縄の那覇を夜の9時前に出て、零時前になっていたとはいえ、当日中に東京の自宅に戻ってきました。 まったくもって「近くなったもんだな!」と思った次第です。

 さて、

 羽田に向かう機内で、かつて「なは」という名称をもった特急列車があったことを思い出していました。

 5年前まで、京都・熊本間を寝台特急列車が走っていましたが、その「なは」号ではありません。

 実を言いますと、私が高校生だった昭和43年に、「なは」という名前の特急列車が新設されました。 新大阪駅と西鹿児島駅(いまの鹿児島中央駅)との区間を結んでいました。

 沖縄復帰の願いを込めたネーミングです。 通常、国鉄の列車の愛称に都市名が採用されることはなかったので、発表された列車名を聞いた時には驚きました。

 記憶があいまいですが、特急「なは」は鹿児島港から那覇港への航路に接続していたように思います。 沖縄の日本復帰は昭和47年ですから、この航路は当時は国際航路。

 まだ新大阪どまりだった新幹線と、この特急「なは」と、鹿児島・那覇間の国際航路を乗り継いで、東京から沖縄まで移動した人も多かったのではないでしょうか。 飛行機は一般庶民にとっては高嶺の花でしたから。

 当時の時刻表が手元にないのでわかりませんが(平塚のハカセは当時の時刻表を持っているので聞いてみましょう)、トータルで二昼夜以上の時間を要したものと思います。

 大学の同級生で沖縄から来ていた友人は、鉄道と船を乗り継いで、帰省していましたが、今でいえば地球の裏側まで行くよりも長い時間がかかったのでしょうね。

 そのようなことを思い巡らしていたら、あっという間の2時間10分でした。


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コメント

  1. ARCadia より:

    なーるほど、確かに都市名は異例ですし、沿線にない地名を採るのも妙ですね。航路も込み、ってことですかね。

    船が専門のアッシとしては航路となると無視できまへん。沖縄返還時、乗客増を見込んだ船会社は豪華フェリ−を投入して、しばらくは活況でしたが(海洋博なんてのもあった)、空路への移行が思いのほか急速で今や船便は青息吐息。

    数年前、大阪から奄美/沖縄航路で奄美まで乗りましたが、その時の乗客は14人と聞きました。6000トンくらいの船にですよ。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    そうそう、沖縄返還時に本土からの豪華フェリー、なんていう話がありましたね。

    いまは鹿児島から那覇新港までの航路は、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島を飛び石のように立ち寄る、生活航路になっております。

    かつて、鹿児島から那覇までの航路にトライしようと思ったことがありますが、奄美大島ぐらいまでにしておいた方が良いよ、言われて断念しました。