4月といえば転校生、かつては。。。

 昨日に続いて「新幹線」からスタートします。

 新幹線網が発達し、飛行機料金の低価格化が進んだことで、単身赴任が当たり前になりました。

 子供がある程度の年齢になると、家族そろって、お父さんの任地に一緒に行くということは珍しいようです。

 かつては、4月になると転校生が入ってくるという風景が、全国いたるところで見られたものですが。。。。

 私自身も、3つの小学校と2つの中学校に在籍しました。 

 蛇足ながら、高校では、初めて入学から卒業まで通して過ごせそうでしたが、高校3年生の11カ月は学生紛争のため校舎がバリケード封鎖となり、実質的に2年しか高校に行っておりません

 合計3回の転校生の経験がありますが、それが人間関係面や異文化に対しての「適応能力」を磨くことになったと思います。

 転校は嬉しいことではありませんでしたが、結果としては良い経験だったのでしょう。 友人も増えましたし。

 交通網の発展は、時間距離で日本を縮めました。それとともに、地方の駅舎は画一化が進み、どこの駅だかわからなくなっています。 駅前の風景も似たり寄ったりです。

 それぞれの地方都市が持つ個性がどんどんなくなって行くように感じます。

 時間距離が短くなることと、地方都市のミニ東京化が加速されることとは、まったく因果関係がないと思うのですが。


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コメント

  1. ARCadia より:

    仰るとおり!

    オイラは小学校2つと中学校3つです。

    といってどうしたわけでもないんですがね。

    もっと剛の者もおりましたし。

    オイラが最初に転校した豊中の東側では、次々に転入があって、卒業の頃には生徒数は3倍くらいになってましたよ。

    確かに昨今は単身赴任が多いのかも。昔のオヤジは専制的なもんだから、奥さんがついて行って世話するのが当たり前だと思われてましたからね。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    昭和30年代の豊中市は田園風景で、宅地開発が活発化したころですね。

    あのころ東京から大阪に行くというのは、いまでいえば、海外赴任するぐらいの感覚でしたよね。

    私なんざ、東京から島根県の人口3万人の都市へ行ったわけですから、最初はギャップのでかさに戸惑いましたよ、、、しかし、あの経験は良かった。