団子鼻のデビューの日

 4月1日なので、39年前の社会人のスタートのことを書こうとしましたが、入社式のことがどうしても思い出せません あまり印象に残ることがなかったのでしょう。

 ということで、昨日の「団子鼻」こと、新幹線の「0系」のデビューの話です。 こちらは約50年前なのですが、よく覚えています。

 東京オリンピックの開会を間近にひかえた昭和39年の10月1日のことです。

 スタート時の新幹線の所要時間は、突貫工事で仕上げたこともあり、慣らし運転の意味から、「ひかり」が4時間、「こだま」は5時間だったように記憶しています。(1年後に「ひかり」の3時間10分運転が始まりました)

 あの日のテレビ画像で覚えているのは、浜名湖付近で下りと上りの一番列車がすれ違う場面です。 あっという間の出来事で、列車が東西に別れていく姿が印象的でした。

 こういうシーンは忘れないものです。

 このころの新幹線は本数も少なく、行楽シーズンともなるとチケットを取るのに苦労しました。 新幹線の切符が取れず、在来線の急行列車を利用せざるを得なかったこともしばしばでした。

 いまや東京と新大阪間では、金曜日の夕刻ともなると、通勤電車並みの数分間隔で「のぞみ」が走ります。 

 通勤電車並みの列車間隔で、高速運転を行う「運行システム」は素晴らしいですね。

 いくらハードの車両をコピーしたとしても、「運行システム」のようなソフトは簡単に真似することはできません。 これこそが、日本人の強み、日本の強みです。


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コメント

  1. ARCadia より:

    ヨークの博物館で0系がピカピカのお話は嬉しいですね。

    で、以前のコメントに書いた気がするのですが、4時間時代の0系に乗りました。イヤー嬉しかったです。転勤にともなって乗ったので本来はグリーンだったのかもしれませんが、さすがにグリーンには乗せてくれませんでしたなあ。初めはシートだって転換クロスじゃなかった?

    その後、当ったり前に乗るようになるとは考えもしませんでした・・・

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    新幹線は高嶺の花でしたね。初めて新幹線に乗ったのは、それこそ家族で日本平と久能山に行ったときかな。でも帰りは153系の大阪発東京行の急行「よど」でした。

    確かに団子鼻のシートはドン臭かった。ガッチャンと方向転換していましたわ。

    巡検の飯田線チンタラツアー、楽しみにしています。