石見益田

日曜日、乗り鉄紀行です。

かつてこのブログでも書きましたが、ワタシは車窓に水底がわかるような透明度の高い海岸線が展開する島根県石見地区から山口県長門地区にかけての山陰本線が好きです。

この区間には博多との間を往来する特急「まつかぜ」をはじめ、多くの優等列車が運行していました。

司馬遼太郎さんの小説「世に棲む日々」を読んだ直後、昭和48年夏に津和野、益田、萩の歴史探訪を行った折には、旅の終わりに東萩駅から夕陽に向かって下関駅まで走り、トンボ返りで夜行急行「さんべ」で翌朝米子駅に着きました。

新幹線が西進するとともに石見から下関・北九州へのメインラインの座は、山陰本線から山口線に代わることになり、いまや益田駅から西は本線とはお世辞にも言えないローカル線となりました。

あの美しい海岸線には1両のディーゼルカーの方が似合うかもしれませんが。

駅弁コレクションに益田駅のものがありましたのでアップします。改名前の「石見益田駅」となっています。特急「まつかぜ」が京都から山陰本線経由で博多まで駆け抜けていた昭和30年代後半のものと思われます。

包装紙にある雪舟庭園の萬福寺は、大村益次郎の部隊が石州口に攻め込んだ際に最初に幕軍と遭遇したところです。戦死した幕軍浜田藩士の墓もあります。詳しくは司馬さんの小説「花神」に。

★特急まつかぜについては、こちらも。

「サンロクトウ」昭和36年10月の国鉄のダイヤ改正です。まだ小学4年生でしたが、我がまちに特急列車がやってきた、この日のことは鮮明に覚えてい...

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コメント

  1. ARC より:

    オオ、萬福寺、、、訪ねましたぞ。医王寺も。
    でも益田の一番の思い出は駅前の亀地、いい店だったんだがなあ、
    と妙なことを覚えてるもんです。
    店は今もあるので、だった、とは失礼ですが、健在なのが何故か嬉しくて。