地域銀行の方たちと親しくなると、「西軍 (とあえて書きます) か東軍か」がよく話題になります。
関ヶ原の戦いではなく、戊辰戦争です。
「多胡さんはどこの出身ですか」
「島根県安来市です」
「賊軍ですね」
「はい、松江藩も浜田藩もそうです。県名と藩名が違いますからね。」
といった会話です。
島根県のみならず、福島県、岩手県、石川県も同じです。
「西軍に寝返って南部藩と死闘を繰り広げた秋田藩は秋田県なのに、鳥羽伏見の戦いで裏切った彦根藩や津藩が滋賀県、三重県なのはなぜなのか」
などと話が弾みます。
昨日の日本経済新聞東北版に「戊辰150年を機に地域振興」という記事がありました。
昨年、奥州列藩同盟で最後まで西軍に抵抗した某藩主のご子孫にお目にかかった折、「来年は家臣の150回忌だ」と言っておられたことを思い出します。
当該記事にあった庄内藩のエリアである酒田市が西郷南洲の記念式典をやる背景は、NHK大河ドラマ「せごどん」のなかで出てくるでしょうし、若松城落城の9月22日に式典を開く会津若松市の観光協会が
「西軍を招くことは考えていない」
というのもよくわかります。
鹿児島銀行の社外取締役だったときに会津若松で仕事をした折には、それなりに気を遣ったのですが、会津における長州と薩摩に対する感情に相当の温度差があることも体感しました。
新聞記事以上の情報がありませんので断定するのは如何なものかとは思うのですが、奥州列藩で戊辰150年のイベントを行うのは最後まで筋を通した地域のようです。
むべなるかな。
裏切った地域はイベントをやりづらいのでしょうね。
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写真は桜の時期の会津若松、鶴ヶ城です。
(2012年4月撮影)
コメント
奥州列藩同盟で最後まで抵抗した某藩主のご子孫の言葉には、150年の時を過ぎても当時の家臣に想いを寄せる「殿」の人格さがにじみ出ていますね!「戊辰150年」と「維新150年」・・・思いはそれぞれです・・・
楢山さま
コメント、ありがとうございます。
長州の首相が国会で会津の山川健二郎さんを話題にするなど、150周年ネタで盛り上がっていますね。
東北列藩の裏切者たちのエリアでは「裏切り150周年」をやるんでしょうか、苦笑。
私の祖父、父は会津日新館の流れを汲む会津中学出身です。祖父は二高(現東北大学理工学部)から京都帝大冶金学科に進み卒業、福岡の某財閥系炭鉱会社に入社進します。そこで赤池はじめ国内、中国の炭鉱を経営し、エネルギー革命で短かった石炭の一時代を築きました。長男であるにも関わらず、次男に家を相続させて、福岡、大陸に渡った原動力は何だったかを探ることがが私の生涯の目標です。歴史を辿ってみると京大進学は山川健次郎さんが学長をされていた時代に重なりますし、福岡の某財閥オーナーからは二校時代から誘いがあったようで、正に青田買いです。また旧会津藩は儒教を取り入れていましたが、某財閥のあった旧福岡藩や熊本藩もその点共通しています。時代背景から通じるものがあった、寧ろ地域同士の関係が太かったのかもしれません。孫の私には祖父も父も語った事はありませんが、一方的に賊軍と虐げれれていた会津出身者の社会進出が阻まれていたことと重なるよう思っており、そうした差別を受けた歴史がいつまで残っていたか、まだ残っているのかも知りたい点です。きっとそうした逆境を跳ね除ける力をつける意味でも必死であったに違いありません。長男であった父も、五校(熊本大)に進んでいます。祖父も父も今で言う海外留学のようなことを経験したのでしょう。もともと教育熱心な旧会津藩の血がそうさせたのではないかと感じています。
鮭介さま、
コメント、ありがとうございます。
2012〜13年、会津若松を何度も訪れて、多くの方々から会津藩の人材教育への熱い思い、会津日新館の教育水準の高さをうかがいました。しかるに4年制大学設置という悲願は1990年代になってやっとかなえられたと聞き、長州 (ワタシの勝手な思い込みかもしれませんが) の執念深さに愕然としました。
その時期に熊本で旧制五高の記念館に行き、漢文の教官だった秋月悌二郎さんの写真を見てきました。秋月と薩摩の高崎正風の話は司馬遼太郎さんの短編に出てきます。写真は集合写真で学長の嘉納治五郎や、秋月を神のようだと言ったラフカディオハーンの横顔もありました。
会津そして五校の情報ありがとうございます。4年制大学の件は知りませんでした、きっとご指摘の通り残念ながらまだまだ残っているのかも知れない。ドグマの中で決断された意思は非合理ですが、日本人は過去からの伝統に囚われて一歩も踏み出せないところが国民性としてあります。昭和陸軍は長州藩が中心になって作り上げましたが、陸軍の暴走も蛤御門の変の長州藩と重なります。また世界観でも、表向き時代認識は変わっても一部の人を裏では差別することはなかなか消えません。
父は生前、会津会会報で五校時代の秋月先生について書いています。その中に教師であったラフカディオハーンや夏目漱石が登場します。磯田さんの著書で知りましたが、司馬文学が参考にされたと思われる「近世日本国民史全100巻を記した徳富蘇峰、大日本帝国憲法の制定に大きく関わった井上毅、教育勅語を起草した元田永孚は熊本出身です。近代日本の歴史観、憲法、教育の根幹をつくったのは熊本の人だったのですね。