平家物語にひかれて寄り道

   山中温泉から金沢に移動しました。「Lady Kaga」 のポスターが目立つ加賀温泉駅からJR北陸本線で金沢駅に向かいました。

   が、実は途中、ちょっとばかり寄り道をしました。

   よくあるパターンなのですが、朝起きて、宿泊地の付近の地図を見ていて、いてもたってもいられなくなることがあります。

   気になるスポットが見つかったときです。

   今朝もそうでした。

   加賀市地図の中に「篠原古戦場跡」という文字を発見したのです。平家物語や源平盛衰記に出てくる有名な戦いです。石川県と富山県の県境にある倶利伽羅峠で木曾義仲に敗れた平家が、木曾義仲軍に再度挑んだ合戦です。1183年のことです。

   平家物語における篠原の合戦の主人公は平家方の斎藤実盛という老齢の武者。この合戦で平家は敗北し、彼はこの地で覚悟の討ち死にします。

   木曾義仲という人は坂東の生まれですが、幼児のときに武蔵国東松山界隈で父親が殺害されて、乳母の夫(中原兼遠といいます)の実家に逃げて、そこで育てられます。中原兼遠の本拠地が木曽。そこで成人したので、木曾義仲となったわけです。

   幼児の義仲を木曽まで連れて行った、いわば恩人が斎藤実盛なのですが、その後、紆余曲折があり、この斎藤実盛が篠原の合戦のときには木曾義仲からすれば敵方の平家軍に属していました。

   義仲は実盛が平家側で参陣していることを知っており、白髪の武者、当時の実盛は70有余歳、がいたら、恩人であるから、それなりに遇するよう、現場に指示が出していました。ところが斎藤実盛の方は若者に負けられぬと髪の毛を黒く染めていたため分からず、木曽方が首を洗ったら白髪が現れ、実盛ということが判明して義仲主従が愕然とする、という内容です。

   実盛塚や首洗い井戸などが残っていました。

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タクシーの運転手さんによれば、「わざわざこれを目的に見学にくる人はいない」とのことでした。

   実盛の兜は加賀市の隣の小松市にある神社に保存されているようですが、何と実盛の兜を目的にこの神社を訪れた人がかつていたそうです。

   松尾芭蕉です。

   「むざんなや  かぶとの下の  きりぎりす」(芭蕉)

   先週のこのブログ、山寺編で松尾芭蕉の墓が木曾義仲のそれと隣り合わせと書きましたが、芭蕉の木曾義仲への強い思い入れをここでも感じた次第です。 

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