甦る赤レンガ駅舎

明日、10月1日に東京駅の丸の内の赤れんが駅舎が復活します。

台風の影響で明日のセレモニーは中止を余儀なくされたようですが、東京のシンボルが甦るのは、やはり嬉しいものです。

本ブログで、しばしばコメントをしてくれるARCadia氏と私の共通の友人で、高校の同級生である「平塚のハカセ」が、昭和44年当時の東京駅と都電の写真を届けてくれたので、掲載させてもらいます。

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この駅舎はたくさんの物語がありますが、何といっても1921年に当時の首相で平民宰相として国民人気の高かった原敬が刺殺されたことが頭に浮かびます。いまも丸の内南口の改札口の前には遭難の場所のスポット表示とプレートがあります。

昭和に入って、当時の首相・浜口雄幸も東京駅で銃撃され、重傷を負います(その後、死亡)が、その場所は東京駅構内・新幹線乗り場の近くです。(ここにもプレートがあります)

昭和40年代ぐらいまでは、飛行機での移動がポピュラーでなかったため(航空運賃も高かった)、転勤と言えば東京駅から出発というのが定番でした。

私も社会人になりたてのころまでは、知り合いの人の転勤の見送りに、よく東京駅に行きました。当時の15番線(ブルートレインの出発ホーム)では、しばしば万歳の声が上がったものです。

30年前に仕事でアムステルダムに行った時には、東京駅のモデルということでアムステルダム中央駅に行き、写真を撮ったものですが、ウキペディアによれば、それは俗説とのこと。確かによく見るとかなり違っています。同じくウキペディアによれば、東京駅がヴィクトリア様式であるに対して、アムステルダム中央駅はネオゴシック様式だそうです。

なにはともあれ、長い工事期間を経て、東京の玄関口がその雄姿を現わします。とても楽しみです。

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コメント

  1. ARCadia より:

    タイミングピッタリ!の記事ですね。

    われら戦後生まれは、長年、八角屋根の東京駅に馴染んでしまったので、復元の構想図を見たときには、ずいぶん重々しく、古風だなあと思いました。

    しかしイザ出来上がってみると、以前の仮屋根はいかにも貧相に思えてきました。勝手なモンです。

    ところで、写真の都電の行き先が三ノ輪橋になってますね。東京駅付近の都電には全く縁がありませんでしたが、昭和通りから上野を経由して三ノ輪橋だったのでしょうね。

    路線は違えど、三ノ輪橋の停留所がまだ残っているのは何となく嬉しくなります。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    三ノ輪橋というのは昔から都電の拠点だったんですねえ。

    台風一過、東海道を近江に向かっています。

  3. ARCadia より:

    訂正!訂正!

    先のコメントで「昭和通りから上野を経由」なんて書いてしまいましたが、大間違い。

    やがては昭和通りに入りますが、その手前は上野駅よりグッと浅草寄りを通ってました。

    http://toden2001.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23

    に詳しいです。

    失礼しました!