トンボ返りで仙台を往復しました。
初めて仙台に行ったのは高校のときでしたが、帰路は夜行寝台列車に乗ったことを、ふと思い出しました。
「新星」という愛称の急行列車で、仙台を夜の零時前に出発して、上野には朝の5時過ぎに到着したように記憶しています。
なぜ、ここまで記憶が定かかと言うと、発車までの時間つぶしにパチンコ屋で時間調整をしたからです。私にとっては生まれて初めてパチンコ屋への潜入。当時は玉を一個ずつ入れる方式で、周りの人のやり方を見ながら、見よう見まねでやったことを思い出します。もちろんフィーバーなんていうのもありません。
学生時代、何度か仙台に行きましたが、いつも急行列車。
社会人になってから、待望の「ひばり」という特急列車に乗車しました。かなり混んでいたので、ビュッフェカー?に陣取り、笹蒲鉾をつまみにビールを飲んでいましたが、車窓に展開する新緑の美しかったこと。
食堂車での最高のおかずは車窓ですね。
10数年前までは、東海道新幹線の二階建て車両(100系、グランドひかり)の、二階部分で食堂車の営業をしていましたが、高い位置からの車窓は絶品でした。この二階建て車両はスピードが遅いということで、その寿命は短いものでしたが、残念ですね。
列車の食堂車というのはいまや贅沢の極み。上野と札幌を結ぶ、寝台特急「北斗星」や「カシオペア」の食堂車は人気が高いですね。
かつて、ヨーロッパ大陸の都市間特急(TEEと言いました)の看板列車には豪華な食堂車が連結されていました。
30年も前のことですから、いま以上にお金がなかったのですが、ボーナスを投入してこれらの列車に乗車し、レストランカーで食事をいたしました。これが海外勤務時代の唯一の贅沢でした。
パリのリヨン駅からマルセイユを通って、ニースまで走る、フランス国鉄(SNCF)の「ル・ミストラル」のフレンチ料理はハイレベル。美味しかったですよ。少なくとも食音痴の町、ロンドンの一流フレンチよりは上であるとの巷の評価も、むべなるかな。
また、オリエント急行にもフランスのブローニュからスイスのチュリッヒまで乗車し、パリの夕焼けを見ながら、レストランカーで夕食を堪能しました。
乗ることはかないませんでしたが、パリ駅から出発する夜行寝台列車(トランブルーだったかな?記憶が間違っているかもしれません)のレストランカーの厨房は、当時のパリの三ッ星レストラン(ラセールだったかな、これも記憶違いかも知れません)が担当していたように思います。
こんなことをしていた報いで、日本に戻ったら金欠状態となり、ひどい目にあったのですが、無理をしてでも、経験しておいて良かったと痛感しています。
ヨーロッパ大陸の看板特急もスピード化で、客車から電車へと車両が代わり、食堂車の機能も簡素化してしまいました。スピードの代償は大きいと思うのですが、、、、
豪華なフレンチも悪くないのですが、はっきり言って、柄じゃないですね。
やはり、ひばり号で笹蒲鉾をかじり、ビールを飲みながら、ボケっと車窓を見ているほうが、性に合っています。
コメント
こういうお話には一口乗らないわけにはいきません。
アッシも食堂車華やかなりし頃から列車を利用してきましたが、旅芸人さん以上に金欠だったので、食堂車を利用することなんてそうそうはありませんでしたがね。
でも混雑時の食堂車作戦なんかは使いましたなあ。
北斗星には数十回乗車しましたが食堂車利用は1〜2回程度です。
そのクセが抜けないので、先年、上りのカシオペアを利用した時も、お料理代にビビって食堂車はアッサリ放棄、デパ地下で仕込んだ弁当で済ませてしまいました。アホでした・・・
まあ、笹かまビールがお似合いなんでしょうが、食堂車でそればかりやられたら食堂車はやっていけんでしょうなあ。。。
ARCadiaさん
北斗星に数十回とはすごいな。かなり車両が老朽化しているみたいですが、近いうちに巡研で使いますか。食堂車もトライしましょうや。
北斗星では、食堂車の昼食営業なんてのに出会ったことがあります。(北斗星ネタ引っ張る)
上りだったと記憶しますが、とてつもない遅れが出て、到着予定が昼をはるかに回ってしまう状況で、食堂車臨時営業の案内がありました。
こういう機会は逃せんと早速駆けつけましたが、お客殺到かと思ったらそうでもなく、チョット拍子抜け。
料理は、トーストと卵程度の簡単なもの。これでもやはり途中で調達するのでしょうかねえ。
お値段はリーズナブルなものでした。
時間はタップリなので、ついでに、ロビーカーでゆったりと過ぎ行く「昼間」の景色を眺めてました。
(夜行寝台は、通常は、乗って、寝て、起きて、降りる、だけなので勿体ないよなあ)