乗り鉄人生で忘れられない日は、50年前の今日、7月25日です。
ハカセと共に北海道SL撮影の旅に出発しました。
上野駅12時10分発の急行「十和田1号」、常磐線経由青森行の列車です。
11時間35分のロングランでしたが、記憶にあるのは、何故か昼下がりの日立駅のホームの風景、青々とした北茨城の海、黄昏の仙台駅構内です。
青森に着いたのは日付が変わる時間帯でしたが、接続するはずの青函連絡船深夜便(0:10発と0:30発の2便ありました)は、いずれも満席となっており、青森駅の桟橋待合室で足止め。
同時間帯に青森に到着する上野発・特急「はつかり2号」、大阪発・特急「白鳥」、金沢発・急行「しらゆき」からの顧客で、連絡船(定員1200名)2隻分が完全に埋まってしまったのです。
積み残しとなったワタシたちは3時間ほど待たされて、午前2時40分発の臨時便に何とか収容されることになりました。
ハカセが青函連絡船のグリーン券を買っていたので(あとはすべて自由席の周遊券でしたが)、カーペットが敷き詰められたスペースの片隅に陣取り眠りに落ちましたzzzzz
そして、
午前6時過ぎに函館山が視界に入り、はるばる函館に来たのです。
ハカセによれば青函連絡船の利用者のピークは1973年、これから3年後だそうです。さゆりさんの「津軽海峡冬景色」はこれから7年後。
いずれにしてもごく一握りの富裕層を除けば、北海道は青函連絡船で行くところでした。
写真はその時の北海道均一周遊券と青函グリーン券です。周遊券の途中下車印の一つ一つが思い出を呼び起こしていきます。



コメント
日付まで記憶していませんでしたが、見送りに行ったホームの情景はハッキリ残っています。
コッチは夏季講習真っ最中かなんかで都内某所の予備校から向かいましたが、確か親御さんなんかもいらしてて、何か大層なところへ赴く雰囲気だったような。
それはそうと、周遊券とグリーン券は懐かしく、アレやコレや楽しませていただきました。
そうそう、ハカセとワタシの母親が見送りに来ていました、笑。