「王城の護衛者」が就職先決定の隠れた理由

NHK大河ドラマは第1回の「花の生涯」以来、欠かさず見るようにしています。

「花の生涯」は井伊直弼の話なのですが、50年以上も前なのに、雪の「桜田門外の変」の場面は鮮明に覚えています。

昭和54年の「草燃える」(北条政子の話)の途中で海外転勤になり、昭和60年の2月に帰国するまでのブランクはありましたが。

ただ、昭和59年の「徳川家康」はロンドンまでビデオを送ってもらい、全編見ていました。

今年の「清盛」は史上最低の視聴率ということで話題になっていますが、確かに人間関係が複雑で難しいかもしれませんね。 NHKのホームページでは登場人物の系図つきの説明がおこなわれるなど、涙ぐましい努力がなされていたようですが、残念でした。

さて、

来年は山本八重の話、メイン舞台は”会津若松”です。

実は今年のゴールデンウイークに会津若松で「地域の自律・自立」をテーマにしたイベントがありました。 ダイバーシティという観点から女性の方々によるパネルディスカッション、NHK大河ドラマ「八重の桜」のプロデューサーによる講演会などが行われました。

その折に、会津若松・鶴ケ城で写した桜の写真です。

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話は変わりますが、私は1974年に東京銀行という都市銀行で社会人のスタートを切りました。 第1次オイルショックの直後だったのですが、就職の環境はさほど悪くなく、ありがたいことに、いくつかの選択肢がありました。

東京銀行に決めたのは、ゼミの指導教官の「君は東京銀行の行風に合っている!」という殺し文句に尽きるのですが、実を言うと、もう一つの隠れた理由があります。

大学4年の就職活動の直前に会津若松に旅行に行きまして、そのときに司馬遼太郎さんの中編小説「王城の護衛者」を読みました。

「王城の護衛者」は会津藩主である松平容保の話です。

容保は朝敵として明治政府軍の矢面に立たされ、これが会津藩の悲劇につながるのですが、京都守護職の時代には孝明天皇(明治天皇の先帝)の信頼が厚く、孝明天皇より宸翰(天皇直筆の手紙)を賜ります。

「王城の護衛者」では、明治時代になっても容保は首から竹筒をぶら下げて、肌身離さず持っていたと書いてあります。竹筒の中には孝明天皇の宸翰(天皇直筆の手紙)が入っていたのです。その竹筒は容保の死後、東京銀行本店の金庫に預けられたと書かれていました。

この話が東京銀行に就職を決めた一つの理由であることは間違いありません。

東京銀行で14年あまり勤務しましたが、そのうち半分は本店勤務。 本年営業部の金庫を見るたびに、この中に保管されているであろう容保の竹筒と、会津藩の人たちのことを思わずにはいられませんでした。

来年1月6日スタートの「八重の桜」、楽しみにしています。

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コメント

  1. 克己 より:

    私も「花の生涯」以来、大河ドラマはほとんど欠かさず視てきた大ファンですが、「平清盛」は3回目でやめました・・・失礼ながら、ミスキャストだったように思います。

    その分、来年の「八重の桜」にかける期待は大なるものがあります・・・楽しみです!

  2. 芸のない旅芸人 より:

    克己様

    私も清盛はほとんど見ませんでした。

    こんなことは初めてです。

    八重の桜は楽しみですね!